鍛冶は不具者に始まる

石巻良夫

天目一箇命あまのまひとつのみことは我が国鍛冶業の祖である。 『日本書紀』 に「天目一箇神あまのまひとつのかみ為作金者かなだくみをなす」うんぬん、 『古語拾遺』 に 「令天目一箇神、為造雑刀斧、及鉄鐸」、 また 「石凝姥神裔、天目一箇神裔二氏、更鋳鏡造釼」 などの記事が見えている。

ところがこの天目一箇の名は、目の一つなりしより生じた名で、伊勢多度神社の一目連、播磨の天目一神社などは皆この神を祀ったのである。

俗に独眼をガンチというが、ガンチはカタチの転で、鍛師のことであれば、天目一箇の因みによってかかる俗語が出来たものと思われる。

元来、鍛冶は非常に神秘的のもので、我が大和民族の社会ばかりでなく、アイヌの村落でもこの職人はみな不具者である。 鍛冶職と跛とは切っても切れぬ深い関係を持っている。 また、ローマの鍛冶の神ヴァルカヌスも跛であった。 その他、ヨーロッパの古代では鍛冶職は多く不具者であった、

同時に鍛冶職には神の守護などという極めて神秘な伝説がある。 我が国でいえば、 『日次紀事』 に、

相伝鍛工三条小鍛冶宗近、鋳刀剣時、稲荷神出現而搗鉄槌、以助鍛錬刀云爾、宗近錬刀之石盤今在東山知恩院山門下、銀匠鍛工等、凡設橐籥者悉祭之、或謂橐籥祭。

とあるがごときはその一例で、毎年11月8日、この吹革祭ふいごまつりを行う。 これをまた稲荷の御火焼おほたきとも云っている。

かくのごとく鍛工が神秘的の伝説を有し、しかもそれが多く不具者であるということは、よほど注意に値すべき事実であるが、アフリカなどの鍛工は全く他の住民と異れる階級に属し、或は甚だしく畏怖せられ、或は甚だしく軽蔑せられ、いずれの場合においても、四隣の村民と結婚その他の社会的関係を結ばぬ。

Mitteilungen der geographischen Gesellschaft in Wien (1878年)の476頁以下を見ると、 ロロ河の東方オゴウェ河流域に住むオサカ人の鍛工について面白い記事が出ている。 このオサカ人は五六の村落に分住し、各村60戸ないし100戸より成り、いずれも鍛冶業に従事している。 付近の諸種族は皆オサカ人に武器の供給を仰ぐのである。

錫蘭セイロンのシガル人も鍛工で一つの部落を成している。 Geiger のウィスバーデン発行に係る Tagebuchblätter und Reiseerinnerungen に載せた報告によると、 ヴェッダ人がやじりを得る方法は非常に趣味あるものだ。 すなわち夜にはいってシガル人の鍛工の住所の前に至り、欲する所の鏃の形ある木の葉を一枚置き、これに添うるに或る種の贈物、たとえば蜜蜂、獣皮等をもってし、さて翌夜ふたたびそこに至れば、注文品すでにあり、これに満足するときは再び贈物を置いて去るのである。 この記事によれば鍛工は他種族より畏敬あるいは軽蔑せられ、親しく面語するのを避けている風が見える。 朝鮮の鍛工も軽侮せられ、他の村民と異れる家屋に住し、その仕事に対して個々の報酬を受くることが出来ず、ただ収穫季において村民の給養を受くるにとどまっている。

かくのごとく鍛工がいずれの人種においても全く別種の階級を成しているのは何がためであるか。 一説には、これらの鍛工は征服せられたる種族の遺類で、征服者の知らざる冶金の術を伝え得たのは、まったく彼らの賜であるという。 朝鮮のごときでは、鍛工をば明らかに外来の異種族であると信じているらしい。 しかし、すべての種族において鍛工を被征服者の遺民とするのは失当である。 我が国の天目一箇命は決して被征服者ではない。

〔大正2年10月15日 『不二』 第2号 40頁〕

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