動揺と不安
世界は戦後、今動揺と不安の海洋中に漂うている。そして私共は何時になったら、彼岸に到着して、安定の陸に上ることができるか、今のところ前途
ソヴィエト露国は今如何。彼は戦後いたるところに見る世界の動揺と不安の標本国である。彼は自ら招いて動揺と不安の海洋に乗り出した。けれども、彼は動揺と不安その物を得んがために、物ずきなる危険を冒したのではない。動揺と不安を経て、然る後の安定を得んがために、これを敢てしたのであった。そして彼は
しからば英国は如何というに、彼もまた甚だしき産業界の不安に苦しめられて、
米国のごとき、戦争終了間際にこれに参加し、軍需品や軍器の売込により、巨額の金を儲けて、福々と喜んで居るべきはずであるのに、これもまた労働界の不安ひいて産業界の不安に苦しめられ、思想の動揺、赤化を恐るるの極、ボリシェウィズムの宣伝者約一万を夜間密かに本国より追放し、終にその誉ある伝統を傷つけざるを得なかった。米国のごとき自由の国ですら、既に動揺と不安の海洋にゆられて居るとすれば、その他の列強がこれに悩まされているのは怪しむに足らない。
こうした動揺と不安の世界に住する一人として、私もまた精神的にも物質的にも動揺と不安の生活に苦しめられつつあるのは怪しむに足らない。戦前、私は安価なる雷同的の民本主義に反抗して傑族主義(アリストクラシー)を高唱した。例をドイツにおける政治、経済の能率高きに取って、俗化されたる民本主義を排した。けれども戦争がドイツ帝国を亡ぼしたと同時に、それが東洋の帝国を除き、欧州における一切の帝国を亡ぼしたることを見るに及んで、私は不随意的ながらも、旧来の主張を抛棄せざるを得なかった。尤も、これに関しては、私が引続き引っかかったる筆禍事件も、その原因の一を組成しているが……
そして私は今デモクラシーを叫んでいる。普通選挙をも高唱している。けれども、私はこのデモクラシーに徹底しているかというに、遺憾ながらただこれに[□□□]て居ない。徹底するだけの[□□□]持って居なければ、これに徹底すべく、私共の伝統的道徳がどうしてもこれを私に許さない。かくして私もまた今世界の悩みである動揺と不安に悩みつつある。私共の往くべきところは決まっている。私共は否でも応でもデモクラシーの方へと往かなければならない。往かざるとして如何に頑張っていても、それが世界の大勢である以上、引ずられながらデモクラシーの方へと往かねばならないであろう。けれども私はなお進むに恐れている。
私の思想と生活は依然として安定していない。動揺に動揺し、不安定に不安定を重ねている。自らその弱きを憐れんで、一夜を泣き明かしても、修養を積まない以上、弱きものが今
動揺と不安のうちに年暮れて
明くれど同じ波風騒ぐ
〔大正10年1月1日 『新愛知』 「緩急車」欄〕