人気投票と学校立憲国とを論じ新愛知紙に与う

與良生

学校立憲国、 こは我等が常に普通選挙を高唱力説するごとく、 『新愛知』紙が機会あるごとに鼓吹こすいし唱道するところのもので、 傾聴に値いする一議論たるを失わない。 彼が学制頒布五十年を記念するために、 学校立憲国の実施を慫慂しょうようするの意見を公けにしたのは、 その信ずるところに忠実なるものとして、 余輩の賛嘆せざるを得ないのである。 およそ言を立て道を行わんとするものは終始一貫、 すべて、 この覚悟かくごなかるべからず。 余輩をして忌憚きたんなく言わしめよ、 もし新愛知紙の言論にして何が権威あり、 何が生命あるかと問わるるならば、 余輩はただ一の 「学校立憲国あるのみ」 と答うるに躊躇ちゅうちょしない。

もちろん、 永い月日の間には時代の推移、 思想の変化、 環境の異るに従って、 昨の是も今の非となり、 所論の矛盾撞着を免るるものではない。 けれども、 我等のもっとも畏敬する 『新愛知』 紙の言論ほど昨是さくぜ今非こんぴをくりかえし、 矛盾撞着一向おかまいなきものはあらざるべく、 ほとんど人を馬鹿ばかにしたかの感なきにあらず。 されど、 学校立憲国の一論は、 普通選挙を尚早なりと断定するための 「おまじない」 とし、 普選を実施せんとせば、 まず学校立憲国制を準備しなければならぬと論ずる極めてずるき回避的論法に用いらるる以外、 常に適当なる機会に適当に論ぜられたものなることを承認する。

その学校立憲国の要旨は、 つまり、 立憲政治の根本となるものは、 選挙権の神聖を自覚し、 投票を公正に行うの良習慣を児童時代から養わなければならぬというにありて、 要するに、 選挙権神聖、 投票公正の観念を学校教育および社会教育によりて与えなければならぬというに帰着する。 何人もこれに向って異議をさしはさむものはあるまい。 極めて筋道の正しく立派な議論としなければならぬ。 しかるに、 かくのごときりっぱな議論を唯一の生命とする 『新愛知』 紙が、 販売政策のために、 藝術奨励の美名を笠にきて 人気投票を幾たびもくりかえし他の問責に逢うも平然として、 かえりみる所なきは選挙権神聖の観念を破壊し、 投票売買を公行するの悪習慣を与うるものとして、 我が立憲政治を毒するの甚だしきものたることを思うと同時に、 その続行中に 「学校立憲論」 を掲ぐるにいたりては、 余りに世間を愚にしたるものとして、 憤りを発せざるを得ないのである。

そもそも新聞社が行う人気投票なるものは、 十数年前にありては、 販売政策上、 もっとも有利有効のものとして東西各地の新聞社が、 ひとしくみな用いたるところにして、 我が名古屋新聞なぞもしばしばこれを用いたことを記憶する。 しかも、時代は進展する。 わずかに十数年をへだてた今日においては、 時代錯誤の甚だしきものとして、 いずれに新聞社も用うることを欲しないものとなった。 わずかに十数年、 ひと昔半にたらぬ年月ではあるが、 世界大戦という大なる鉄火の洗礼をうけた我等世界人は一世紀も二世紀もへだてたごとき飛躍的進歩をなしている。 早い話が、 官僚と貴族の私生児たる現内閣のごときすら、 政友会内閣の敢てし能わなかった普選実施に指を染めんと意気ごむほどの時代となった。 すなわち現代の人々は文化的にすべての方面に目ざめは来たが、 やはり一ばん強く目ざめたのは、 政治的方面であることは争うことができぬ。 政治的目ざめは選挙権神聖の観念を固くし投票尊重の思想を生むのは必定であるそれが時代思想である

人気投票なるものは議員選挙と異りて、 全くおもちゃのごときものであるとはいえ、 その投票たるの性質は両者同じである。 児童はおもちゃによりて教育さるるものだ。 玩弄紙幣が何かの役に立つことを幾たびか経験すれば、 遂に紙幣贋造の罪を犯すにいたるものだ。 故に真に立憲政治の美をさんと欲するならば、 選挙権神聖、 投票公正の時代思想を学校教育にも社会教育にもますます助長することにつとむるのが当然にして、 いやしくもこの思想を攪乱こうらんし、 破壊するごときは最もつつしむべき事とせねばならぬ。

然るに新聞社の行う人気投票なるものは、 その用紙が或る特定の新聞紙面の一部にすりこまれていることを条件とする。 而して新聞紙なるものは金銭によりて売買し得らるるものであるとき、 たとえ他のすべての方法が十分公正に行われたとしても、 すでに売買された投票たるを意味し、 また全市の人気にあらずして或る特定者間のものなることを免れない。 いわんや、 投票それ自身の売買が公然に行われ、 これによりて利益せる幾多の事実を生ずるにおいては、 投票売買を公行する悪習慣を社会に養い、 その習慣は、 ひいて本当の議員選挙にも及ぼすことなしとは誰か保証し得るか。 余輩の耳にするごとくんば、 彼の第二回目の時、 市内小川町においては、 籍を小学校に有する児童が、 はさみを手にして投票用紙を切りぬくために街路を右往左往するを見て、 試みにたずねてみたら、 一枚三銭から五銭くらいになるからよい仕事ですと答えたそうだ。 そうして得た金は何につかわれるであろうか。 多くは子どもの無駄づかいに終るのではあるまいか。 思うて、ここにいたれば、 誰か悚然しょうぜんとして肌に粟を生ぜざるを得ん。

しかも、 このことが学校立憲国を唱道する新聞紙によりて行わるるとすれば、 余輩はその何のための唱道なるやをあやしまざるを得ないのである。 殊に、 引きつづいて人気投票を現に行いつつある新聞社にして、 その論説欄に 「学校立憲国を学制頒布五十年記念として実行せよ」 と唱うるにいたっては、 余輩何のことばをもってそのあつかましさを評すべきやを知らない。

およそ新聞社ほど連絡統一のとりにくきものはないから、 編輯部における言論と営業部における販売政策とが矛盾すること があっても、 多少大目に見なければならぬ事情あることは、 余輩も同病相あわれむものとして相互の寛仮かんかを乞わねばならぬ。 けれども、 それはひとたび行われることによって直ちに発見されなければならぬ。 過てることの発見されたらんには、 その過ちを幾たびもくりかえすことを許さるべきでない。 同一の行為も始めにありては過失として許さるべきも再三するにおいては罪悪となる。 学校立憲国と人気投票の併立も第一回は編輯営業両部の連絡統一を欠きたる過ちとも見られるであろうけれども、 その弊害が社内にも社外にも幾多行わるる事実を知りたらば、 これを中止すべきではないか。 中止し得ずとも、 続行するごときはもってのほかのことではあるまいか。

さらにもってのほかなるは、 児童および社会の投票心理を堕落せしむるの人気投票を続行しつつ知らぬ顔して学校立憲国を唱道することである。 ここにおいて余輩は『新愛知』紙に良心の有無をうたがわざるを得ないのである。 児童を毒し社会を賊することを今なお知らずして行い、 またはさらに続行せんとするのであるか、 或いは知るもなおその販売政策として有利有効なるべきを夢想しているのであるか。 余輩はあえて夢想と云う。 何となれば前世紀時代においてこそ有利有効でもあったろうが、 国民をこぞりて普選を叫ぶような時代においては決して有利でも有効でもないからである。

ここに余輩は真実を告白す——かの初めて第一回の発表を見たるとき、 余輩は愕然としておどろいた。 時代錯誤の甚だしきものであるからである。 とは云うものの、 人はよく昔にかえりたがるの性質を持つからである。 もしの結果にして有効ならんには、 自衛上、 毒を以て毒を制するの外なく、 我もまた対抗戦を開始するのみと覚悟したこともあった。 されど、 近刊の『日本新聞発達史』をひもといて、 大阪における朝日毎日争覇戦の条を見ると、

朝日、大毎が営業と編輯の両方面より肉薄戦を試むるのは本山彦一の時代より開始された。 その肉薄戦のもっとも露骨に紙上にあらわれた一例は、 明治三十二年の俳優投票である。 毎日は桐原の献策を用いて当時東京新聞が拡張策に用いた投票を俳優に試みた。 朝日は筆を極めてその陋劣なるを攻撃し、 毎日これに応戦して論争半月余に及んだ。 さらに三十五年、 毎日は神戸および京都附録に代議士予選投票を行うた。 両社また筆戦を交え、 しかも、 その激烈なること前日の比ではなかった。 朝日の社員は毎日の一少壮社員を誘惑して翌日の紙上に掲載すべき応戦記事の校正刷を盗ましめ、 これを前日の紙上に掲げた。 毎日は 「朝日新聞一青年を殺す」 と題して罵詈讒謗ざんぼうを極めた。 遂には社員の人身攻撃に及び、 無関係なる第三者を渦中にまきこみ、 ほとんど底止する所を知らなかった。 結局藤田伝三郎、 土居通夫、 松本重太郎等の居中調停によりて結末を告げた。

とある。 これを読んでつくづくと考えねばならないのは、 論争ですら朝日毎日のごとくであった、 もし毒争の対抗を為したらんあかつき、 いかなる結果を将来し、 いかなる迷惑を人々に及ぼすか、 実に寒心しなければならぬ、 ということである。 しかし万一やむなく論争毒争いずれかの場合の参考として、 去月末大阪に赴き、 両社の故老に当時の状況をただし、 その争いの実に今の世にふたたびすべからざるものたることを感得した。

しかるに、 ここに一つの喜ぶべき現象のその一は、 時代錯誤の販売政策が何らの影響をも我に加え得なかったことである。 その二は、 人気投票を非とする運動が新聞革正同盟によりて起されたことである。 余輩は敢てこれを 「喜ぶべき現象の一つ」 と云う。 何となれば、 もし人気投票が時代錯誤でなかったならば、 これを攻撃しこれを非難するごとき運動は決して起り得ないからである。 かりに、 十数年前にそんな運動を起したとしても、 世人はふりむいても見なかったにちがいないと思うが如何。 ともかくも云うよりはむしろ次第に共鳴者を加えつつ約二十回の攻撃演説会が行われたのは、 何と云うてもこれを時代精神の反映なりと認むることを拒むことはできない。 余輩は断じて云う、 人気投票を非なりとする時代精神こそ実に普選を要求する貴き政治思想の発達 と見るべきではあるまいか。 これ普通選挙問題を学校立憲国に回避し、 その尚早を論ずる者のまさに反省すべき点ではあるまいか。

十七日の『新愛知』はその論説欄において 「憲政派および○○○新聞に反省を求むる」 の意見を掲げた。 ○○○の欠字は読者の推定にまかすのほかはなしといえども、 恐らくは我が 「名古屋」 新聞か 「新愛知」 新聞かの三字を填充てんじゅうするほかなかるべく、 しかして筆者はむろん我が『名古屋新聞』を指したるものならん。

余輩はかつて一昨秋しばしば筆にしたるごとく、 新聞記者ほど罪作りのものはなく、 新聞ほど我まま勝手のものなく、 「新聞虐政」 の何とかしなければならぬを感じているものであるから、 その反省すべき点の多々あるべきを思う。 二十一日 『大阪朝日新聞』 の社告するところによれば、 同紙にては 「記事審査部」 なるものを設け、 新聞虐政の弊をめんとしている。 余輩もまたこれに学ばんことを欲するのであるが、 別にまた新聞が他新聞の欠点を穏当に忠告し反省を促すことは相互に有益なことであると思う。

余輩はさきに新愛知から推定的に反省を要求された。 謹んでこれをりょうすると同時に、 むくゆるに本論をもってして同紙の 「自己反省」 を促さんと欲す。 これ筆をるものの礼なればなり。 吾人ごじんは朝日毎日が為したごとき論争をも、 また毒争をも敢てせんことを欲しない。 そは読者にとりて甚だ迷惑なるべしと信ずるからであるが、 いどまるれば、 決して辞するものでないことを告げておく。

〔大正11年10月22日 『名古屋新聞』 3面論説〕

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