金利革命の意義

名古屋高商の宮田教授は、 「日本人は急激にくる事態の変革には神経過敏だが、徐々にくる革命については案外冷淡で気づかずにいる」 と述懐しているが、目下着々と実施されている低金利誘導策なるものは、徐々ながらその波及するところ、まことに一種の金利上の革命である。 いま便宜上、馬場大蔵大臣が就任以来、直接に、或いは人の手によって実施した金利政策をならべてみるならば、就任約十日後、3月19日に発表した4分利公債の売出価格を従来の98円50銭から99円25銭に引きあげたのにはじまり、民間銀行がこの公債でも将来にでるより低利なものにくらべれば買っておくにしからずとばかり猛然と買い進むや、4月2日にはもう売らないという公債売止め命令の発布あり、さらに6日には日本銀行の貸付利下げを断行、さては8日の公債低利借替など、以上の四つのうち、どれをとりあげても、いままでにない思い切った政策なのである。

「声明蔵相」とは誰が言いしか、その後の馬場さんのやったあとはまさしく「断行蔵相」の面目がある。 ただ、それらが一つ一つ出てき、その内容も漸次強くなっているので、あっと驚かないまでである。 馬場さんは話ずきなのは事実である。 自分でも「よくそれからそれへと話すことがあるね」と語るほどで、よく話してくれる。 声明蔵相の名はそこから来たかもしれない。 しかしその後の事態は単なる声明や静観とか待機を許さず、断乎たる実行が必要となってきたとみるべきであろう。 市中銀行が公債を買過の結果、お手もとの小遣い——すなわちコールが引締り、高くなってきては、「これは特殊事情によるものだ。低金利は進行しつつある」と静観しているわけにはゆかなくなって、金利界での灯台たる日銀利下げをやったとみるのも決してうがち過ぎない事実である。 また今のところ政府として金はいらないが、銀行に対して今後の公債の条件を知らしめておく必要があるところから、3分半利の条件を発表したのも決して早計ではなかった。 民間で「穏当なる処置」と批評されたゆえんである。

さて、かように矢つぎ早に行われた新政策のどれも、その影響するところ大きいが、いま最後の3分半利公債の発表の意義を瞥見してみよう。 発表内容は昭和11年度および12年度に償還期限のくる5分利国債3億8千5百万円を3分半利に借替える、いやな人はもちろん現金で償還してやるというのである。 この公債低利借替は、昨年も一昨年も問題になったことはもちろんある。 しかし当時の輿論としては、「42億円にのぼる5分利公債がどうして簡単に借替えられるか。そのうち2割の人が借替に応ぜず、現金償還を求むれば、それだけで8億4千万円の兌換券だかんけんがいるではないか」と簡単に論じ去られたのであったが、その低利借替も、いまや吾人の面前で一部分——3億8千百万円が実行されつつあるのである。 5分利を3分半にすることによって政府の利子負担は576万円だけ軽減される、非常時財政への福音でなければならぬ。 が他面、銀行や個人投資家の利息収入がそれだけ減ることなら、もとより利息生活者に左袒さたんするわけではないが、もし寡婦や孤児にして、この借替公債の利子で食っていた向きありとすれば、生命線上の革命ではあるまいか。

それはともあれ、日露戦中の産物たる4分利公債を遥かに超躍ちょうやくした3分半利公債が平穏に借替されんとしていることは、日本財界の発展を裏書するもの。 隣国支那は先般、国債の低利強制借替をやって、幣制を紊乱し、大英帝国は借替には成功したが、それは歳出入のバランスがとれ、赤字公債が殆ど影を没せんとする時になってやったことであった。 わが国の借替が比較的順調に行われんとしている理由は、徐々に低利新政策で導いていること、いま一つは国民の時局に対する認識、この二つに基因しているとみるべきであろう。 公債所有者のみではない。 公債の低利化と相前後して、銀行預金も信託預金も、乃至は最も零細な資金である郵便貯金利子までも引下げられんとしている。 金利革命の語、必ずしも不当ではあるまい。 国家の存立発展上必要な施設は断行のほかないが、かような変革、犠牲のもとに生れる非常時財政であるから、国費の使途の適切有効なるべきは言をまたぬことである。

〔昭和11年4月9日 『名古屋新聞』 朝刊2面 社説〕

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