貧民窟の熱血詩人
貧民窟の棟割長屋の三畳敷に身を置いて長い間貧民に伝導し、
貧民を慰め労わりながら
『貧民心理の研究』
を著された、
賀川さんを、
神戸
「わァレ、賀川です!」
葺合新川で初対面した賀川さんは、
テキパキした調子で好く語られた。
語りながら対者の顔から視線を
こうした第一印象は、 怜悧な如才のない少壮実業家のタイプであった。
賀川さんの論文に魅力を覚えて耽読しておった私共はその博識に驚いているので、 逢うまでは、 静かな沈着のある、 そうしてむっつりした学者肌で、 眼光も冴えている人であろうと想像して居った。
が、
全く違って
貧民窟——それはそれは無惨な貧民長屋、 誠に不潔で、 壁の色、 鯨の肉の色、 年中乾いたことのない道、 ——臭い——便所、 ——道側の室といえば、破れ障子。
天井の埃、 ——雨戸の埃、 思ってもいやであります。
私はザッと通ってみただけでも夜食が
そこには、
八百人の婦人を
賀川さんはこの恐ろしい長屋で伝導をして居られる。 兇器で脅かされたり、 殴られたり何回あったかわからない。
奥さんの春子さんも危く失明の難から
そうして、 今も戸数三百二十戸、 人口千五百余の長屋に、 四戸の家を借りて医療所を設け、 医師を雇って、 現世の落伍者、 密売で腐爛した身体の女達を世話しながら、 社会問題の研究と実行に努力して、 精細伝導に従い、 毎月十篇近い研究論文を公表しておられる。
賀川さんの熱誠と勇気と活動には、 全く目覚しいものがある。
私は鯨の腐肉のように
最後に賀川さんに幸福あれ。 賀川さんの事業に恩寵あれ。 私は斯く全智全能の神に祈るのである。
〔大正9年8月9日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕