名古屋直観記 (一)

尾島生

名古屋の方言の中で、初めて旅から来た人にも大体それと見当のつくものと、 通訳付でなければてんで要領の得ないものとがある。

などはその前者であり、

などはその後者である。

そして、感じからいうと、語尾に 「ヤース」、 「ヤーセ」、 「何々ラッセル」 などの付いたものは悪い感じのしない方であり、 「ナモ」、 「ダエモ」 などの付いたものは素朴で幾分野臭やしゅうがある。 もしそれ 「知ラーン」、 「イケセン」、 「ダチカン」、 「トロクサイ」 などに至っては滑稽味もあるが、 蓮葉で、あまりいい感じのしない方である。 ただし大体論からいえば優美で、上品で、上方かみがた風に近いともいえよう。 裏だなのおかみさんでも 「ごめー遊ばせ」、 「御無礼しました」、 「にいさま」、 「ねえさま」 などと、 なかなかオートクラチックの言葉づかいをする。 「遊ばせ」 や 「御無礼」 は必ずしも方言ではないが、 随所において頻発される慣用語であり、 名古屋のスペシァルカラーである。

一日、私は好生館に行くとき、 江川町付近で人に道を尋ねたことがある。 と、 「ここをいきやーして、どーんと突きあたったら、北の方へ御出でやーせ」 と教えてくれた。 私はこの 「どーんと突き当る」 といったその調子が何かしらインプレッシィブですこぶる気に入った。 そしてその言葉が、 私に教えてくれたその人特有のものではなくて、 名古屋人通有のものであることを後に知った。 と同時に、人に道を教うるに 「右へ」あるいは「左へ」と云わずに、 「西」とか「東」とかの方角を指す慣習があることも知った。 「手に下駄はいた善光寺詣りが右や左のお旦那様」 では縁起でもないから、というわけでもなかろうが、 いずれにもせよ、これも名古屋カラーの一つである。 (編者曰く、大阪もそうである。)

宿屋や飲食店の店の硝子ガラス戸や看板に 「御支度所」 と書いてあるのが目をひく。 普通所謂いわゆる 「御休みどころ」 という意味であろう。 同じ縄暖簾なわのれん式の店でも、 東京などの 「一寸一ぱい」、 「牛めし」 などと無骨で、むき出しにしてるのに対して、 優美で、床しい書きぶりであり、 野武士に対する公卿様の格である。 これも名古屋の文化をシンボライズしたものの一つであろう。

湯屋や床屋などの人だかりするところに行って、 地の人同志の話を聴いてると、 アクセントの具合が、ちょうど支那語のようであることを発見する。 特に女同志の会話において然るを感ずる。 名古屋と支那! この両者に如何なる因縁があるか。 一足踏み込んで調べてみたら、さぞかし面白い結論が得られようかもしれない。 或いは水泡に帰するかもしれない。

〔大正9年9月6日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

目次へ戻る