宗教家・教育家・巡査に対する態度を寛大にせよ

三重 水谷月耕

日々の新聞紙上に頻々ひんぴんと伝えらるる教育家の不品行、宗教家の堕落、巡査の無責任、 これらの記事を見るとき、 私はこれを雲煙うんえん過眼かがんし去るに忍びない。 実にこれらの事は微々たる問題のごとくなるも、 まさに国家の憂慮すべき大問題である。 吾人はこれら不道徳極まる宗教家、教育家、ならびに巡査を責むる前に、 まず彼らを駆ってこの不道徳を為さしめる原因を考察しなければならぬ。

元来、我が国人は彼らをるに余りに侮辱の念を持っているらしく思われる。 なかんづく小学教員と巡査とに対してそれが甚だしいと感ずる。 かなり質朴な村落にまでも今はこの風が蔓延してきた。 こうした軽侮の眼をもって彼らを視る世人は、 また一方、彼らに対して厳格なる看視眼を怠らない。 しかして彼らに要求するところまた大なりである。 日夜薄給に身命を賭して警戒の任に当ってくれる巡査の労を賞揚せずし、 感謝することはせずして、 些細の過失あるも直ちにこれを摘発して、 あくまで譴責けんせきする。

教育家においてもしかり。 教育家の要求を受入せずして教育家の無能を鳴らし、 教育家の自由を奪って教育家の責任を問う。 或る村に発生した教員の連袂れんべい辞職問題のごときも当然の産物である。 近時起った森かよ子の捨子事件、 大阪府下の三教師の一少女強姦事件のごときも、 私は世人の態度を離れて考うることはできない。 また世人が腐敗せりと称する宗教家も、畢竟ひっきょうするところ、 彼らに与うる物を与えずして求めんとしているのである。

宗教家も人間であり妻あり子ある以上、パンを得るの手段を講じねばならぬ。 しかして彼、宗教家の収入なるものは、 或る一部を除いて極めて微々たる固定的収入たるからは、 やむなく営利的の手段を講じても、妻子を養育するだけの収入と、国家に義務を尽すだけの収入を得て、 生活の安定をはからねばならぬ。 こうしたやむをえざる手段をも世人は心好しとせずして、往々に非難し罵声を注ぎかける。 またこれら窮々きゅうきゅうたる宗教家にその義務を問うて社会に尽せと追及する。 世人の援助も無くして、彼自身さえも救いかねる宗教家が、どうして社会を救済することができようか、 あまりに明白な事実ではないか。

要するに、世人の多くは彼、宗教家、教育家、巡査を諒解りょうかいせずして、彼らに要求するところはすこぶる大である。 世人は彼らより人間たるの自由を奪って、聖人君子というごとき行いを彼らより求めんとしている。 彼らは人間である。 彼らが人間たるの自由を奪われて、どうして聖人君子の行いができよう。 与えられずして、何で求むるものに応じられよう。 世人は大病人に労働を強いるより以上の極を彼らに平然と為しつつある。 世人のこの態度は、遂に彼らをして自暴自棄に投じて邪道に奔らしむるのである。 彼らが不道徳を敢行するところの責めの一半は世人の負わねばならぬところである。

私は敢て絶叫する—— 吾々われわれは宜しく彼らを諒解して、 彼らに対するの態度を寛大にすることは刻下の急務である。 永遠に吾々が彼らに対して今の態度を持してやまざる時は、 実に国家の危険分子、社会の障害物となるであろう、と。

〔大正9年12月25日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

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