森戸辰男氏より

謹啓

よいお年をおとりになったことと、 遅ればせながら年賀の御祝詞を申上げます。 私は今年は変ったところで有意義な新年を迎えて、 今日出て参りました。 今日はちょうど幸先のよい立春ですし、 おまけに昨日よりの降雪で、 ものみなは純白の装いをして私を歓迎しているように見えました。

顧みますれば、 昨年の今日は第一回の裁判の日から五日目でして、 事件発生以来、 既に一年余になります、 その間にあなたから戴いたお慰めとお励ましとを私は衷心から有難く思っています。 三ヶ月の牢獄生活を通じて、 まず心身とも健康であり得たのは、 神の恩寵とともに、あなたの御厚情に負う所が多いことと深く感謝致します。

監獄生活は私にとって決して楽なものではありませんでしたが、 一種の修道生活と観念して入りましたので、 それは予想したよりは楽であったと云われるでしょう。 とりわけ御心配を戴いたのは身体の健康でしたが、 お蔭様で、 私は在獄中ただの一回も風をひかず、 一日も病臥せずにすみました—— もっとも、左手の凍傷で少々苛められ、 消化系統は始終不順の状態にありましたが。 入監の時の体重が十五貫、出獄の時が十二貫八百目、 三ヶ月の減量が二貫二百目で、 一日の平均減量が約二十五匁です。 が、これは異常な減量ではなく、 私のような種類の罪囚に普通の減量です。 何分、一食平均三銭五厘で、 その他の万事がそれに応じた給与なのですから、 これだけの健康を維持して出て来られたことの方が、 私にはむしろ不思議に思われる位です。

霊的生活の方面では、 彼処の三ヶ月は比較的多くの瞑想と祈禱との機会を私に与えてくれました。 縲紲るいせつの中にあって、 また物的窮乏の中にあって歓喜と平安とに溢れていた聖パウロや聖フランシスや聖ベルナルドやジョン・バンヤンのなどの言葉と行いは、 彼らに似通った境遇に置かれてこれを想起するとき、 この鈍重な私をも少からずインスパイヤするのを覚えました。 ともかく、 神に対してはより敬虔に、 人に対してはより友愛に、 真理に対してはより忠信でありたいとの願望を刺戟されて出て来ることのできましたのを、 私は在監中の最大の賜物だと思っています。

知的方面では西田桑木諸先生の著書を介してカント及び新カント派の学説の一班を伺い得ました。 それは私にとって大変に興味あるものでしたが、 ただこの方面に素養を欠いた私には、 理解したと云うよりは、 解らぬことが殖えたと言う方がむしろ適当であるのを遺憾とします。 専門の方で 『資本論』 の大半と、 ウェッブの 『労働組合史』 と 『産業民主制』 とを通読し得たのが主な獲物でした。 牢獄生活を通じて私の単的確信は動揺することなく、 むしろ確立されつつあることを私は経験しました。

斯様な状態において私は放免されました。 そしていま私は清新な世界と愛する友とに包まれた自由の今日を歓び得るだけでなく、 一年の過去の全体を牢獄の一日一日をすらも、 感謝を以て顧ることができます。 私は確信しています、 私の喪うた凡ては私にとって不要なものか有害なものであり、 私の獲た凡ては私にとってなくてはならぬ最善のものであることを。 かくて私は事件以来、 殊に牢獄生活を通じて維持し来ったもの、 また新たに獲得したものを、 この後の生活においてますます維持発展させて行きたいと思っています。 心弱く力足らぬ私のことですから、 どれだけに成功できるかは未知数ですが。 従って私はあなたからの相変らずの激励と御誘導とを願わずにはいられません。

なお、お心にかけて下さった留守宅でも、 老母も姉も妻も子供も至極達者で私を迎えてくれました。 その中でも進歩の最も著しいので私を驚かしたのは、 三度目のお正月をした子供の「望」でした。 私の家庭の「望」と同じように、 社会の見えぬ望も、 この三ヶ月の間に、同じ進展をなしたであろうことを、 私は信じたく思います。

実はお目にかかって御礼申上げたいのですが、 当分田舎に退いて健康の回復をはかりたいと思いますので、 不本意ながら書中を以て御挨拶申上げます。   敬具

大正十年二月四日

森戸辰男

なお私は今後専ら大原社会問題研究所(東京支部)において社会問題の研究に従事するつもりです。 従来通りの御懇情と御教導とを願います。

〔大正10年2月21日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

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