世界のなげき (一)
日本よ、お前は何処へ行く
十日 足尾山中にて
さまよえる日本よ、お前はいま
英国の炭鉱夫、運輸業者、鉄道従業員のいわゆる三角同盟は、いよいよ12日夜半より総同盟罷業を行うことになった。
私は英国の炭鉱夫たちのストライキを見るかわりに、足尾のストライキを見るべくここへ来た。
そして世界のなげきが、足尾の山中にも
海抜1200尺の上毛の高原、渡良瀬河の奥ふかき谷間に横たわるところの静かな足尾の街よ、世界のさけびが、今こそここに期せずして表われたのである。
さまよえる日本が、久しい
私はこの三日間、東京に開かれたる東亜記者大会に出席すべき用務を
雪嶺博士の意見は別に紹介し、批評する機会があろう。 私は大会の第一日にすでに失望し、第二日の支那記者側の演説に失望した。 そして歌舞伎座に「日本一」ぞろいの名優、仁左衛門、羽左衛門、左團次、我童等を集めたる忠臣蔵の一幕にわけもなく泣かされたものであった。 仁左や羽左諸君の藝術に泣いた涙のその夜、足尾銅山不穏の記事を見たとき、私は思わずハッと胸を突かれざるを得なかった。 私は甘い忠臣蔵の涙から覚めて、現実の世界のなげきに胸を撃たれた。
私は第三日の大会のプログラムの一切を捨てて、而して「宮城拝観」という
日光、赤城、妙義の山々が、春というのに、まだ雪を頂いている。 関東八州の平野、それは雑木林の並びつづく新鮮なる野外の光景が、東北本線から、両毛線、足尾線と、七日間の私の汽車の旅を慰めてくれたものだ。
桐生から、その足尾線は、渡良瀬河に沿うて二時間半の淋しい鉄路がつづいている。 それが世界のなげきと日本のなげきとを連絡するところのただ一つの交通線路である。
私が足尾の街を汽車の窓から見下した
さまよえる日本よ、お前は
〔大正10年4月12日 『名古屋新聞』 2面〕