仏教徒の奮起を促す

釈尊の前に一致団結せよ

森生

仏教が日本へ渡来して以来まさに1300年、仏滅後2950年に相当するのゆえもって、本年は各方面において、或いは教祖釈尊しゃくそんのために、或いは日本にこの仏教を弘宣こうせんした聖徳太子のために、盛んなる会式が行われる。 しかしてこれが在来のごとく単なるお祭り騒ぎとしてでなく、真に釈尊の理想、仏教の本旨に覚醒かくせいし、特に現代の活きたる社会事業の上に貢献せんとする努力がうかがわれてきたのはよろこばしいことである。

よ、聖徳太子発祥の地たる大阪府下南河内磯長の叡福寺における太子奉讃会の盛儀を、 而して大阪を中心とした各地に行われる奉讃事業のさかんなることを。 さらに目を放てば、今や日本の到る所に仏教復活の曙光しょこうを認め得る。 私どもはあえてこれを仏教復活とう。 何となれば仏教は日本に伝来して以来、文化の中心となって貢献したこと、まことに偉大であったが、一方において仏教はその教義が余りに広汎多岐にわたり、ややもすればその解釈を異にして幾多の宗派を生じ、互いに自派の勢力を扶殖するに努むる事ほとんど一種の職業化し、果ては釈尊の教えにもとり、或いは反目し、嫉視し、争闘して、自ら修羅道を演出した事さえしばしばであった。 しかもなお惰力によってわずかに命脈を保ってきたのであるが、ひとたび明治の維新に遭遇するや、廃仏毀釈の大難あり、たちまち衰滅の悲運に傾いた。

明治維新後においての廃仏毀釈は必ずしも為政者の手をつまでもなく、自然の勢いがすなわかる運命をっていたのである。 その最も大なる原因は西洋文明の輸入、科学の進歩である。 科学は仏教と相容れない、したがって仏教と科学とは自然に戦闘を始め、仏教が科学を滅ぼすか、科学が仏教を滅ぼすか、その帰着点は余りに明瞭である。

果然かぜん、仏教は科学のために圧倒され、っと科学と没交渉な老人や、いわゆる愚夫愚婦の間に気息奄々えんえんたる命脈を保持してきた。 実に仏教の生命は電光朝露と云おうか、風前の灯と謂おうか、あわはかなきありさまであった。 それが際どい所で復活し、捲土重来けんどじゅうらい的に奮闘し出したのは何故であるか。 仏滅後2950年、もしくは仏教が日本へ伝来して1300年になるという年代的現象の然らしむるところか。 私どもはこれを肯定することはできない。 私どもはインド文明について多くを知らぬが、現代の物質文明はあたかも釈尊時代のインド文明に酷似しているのではあるまいかと思われる。 釈尊の説いたいわゆる五悪や十逆やは今現に私どもの前に展開して盛んに行われつつある。 政治方面にも、経済方面にも、教育方面にも、思想方面にも、あらゆる方面に実現してきた。 釈尊時代のインド文明は恐らくこれと同様であったろう。 この偏物質文明は釈迦を生み、釈迦は仏教を生んだのである。

むべなるかな、仏教そのものはことごとく精神文明を鼓吹こすいしたものばかりで、釈尊の意はこの物質文明の反面に精神文明を注入し、精神的に餓鬼となり畜生となり地獄にちた人類に対して糧を与えようとしたのにほかならぬ。 而してこれらの人間を救って人間らしく改造し、さらに向上して天人の境を指し、勇猛精進極楽行を説いた。 すなわち餓鬼と謂い、畜生と称し、地獄と云う、いずれも人類が物質的に囚われた場合の精神的苦痛状態を具体化した比喩で、人間界以上の境界は、人類が精神的に復活した状態を謳歌した比喩にすぎない。 哲学的にはこれを形而上あるいは形而下の文字をもって示し、通俗に「霊主、パン従」と謂う。 いずれも帰するところは同じ事である。

釈尊の教典はごうも現代の科学と背馳はいちしておらない事は、今では立派に証明されるようになった。 窮すれば通ずるの道理で、これまで宣伝の方法を誤っていたがために、窮地に陥っていた仏教も、今では科学と握手し提携して現代の精神的欠陥を救済する域に進んで来た。 殊に戦後、澎湃ほうはいとして押し寄せて来た唯物主義の過激思想を打破し、善導するには仏教によるより他にみちは無い。 さればとてキリスト教もまた断じて唯物主義の宗教ではない。 「人はパンのみにて生くるものにあらず」の聖訓はこれを証明して余りある。 キリスト教も仏教と提携して現代を救わねばならぬはずである。

寺院は死後の行き場所を相談する所ではない。 よろしくこれを開放して公会堂とすべしである。 墓地は衛生上忌むべき、陰鬱な、穢れた場所ではない。 宜しくこれを公園とせよ。 僧侶は葬式をする道具、お経を読んでお布施をもらうものではない。 宣教師は朝鮮人を煽動したり危険思想を伝播して国際間に風波を起させる機械ではないのである。 特に私どもはこの際、仏教徒が従来の歴史や感情やを一擲いってきし、活ける釈尊の前に一団となって奮闘努力し、以て過去の歴史に光彩を添え、人類の現在は勿論、人類の未来に向って、より多く貢献せん事を望むものである。

〔大正10年8月10日 『新愛知』 1面論説〕

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