社会主義者の一模型 (上)

水野昌蔵

先日私と共に瀧本博士のマルキシアン社会主義論を反駁したU氏。

マルクスの唯物史観が、彼の資本論の中に論述してあるなどと出鱈目でたらめをはいて、私に向って罵言を発したるU氏。

三千頁になんなんとするマルクスの資本論の末尾と、僅々きんきん百数十頁のエンゲルスの空想的及び科学的社会主義論の末尾とを混同して、

彼の資本論の末尾にはまことに、 「現実の王国より理想の天地へ驀進しなければならぬ」 という有名なる文句をもって論結せられている

と書き立て、得々然たるU氏。

このU氏が、近日、マルクスの浅薄誤謬を発見して遂にマルクスを捨てて、 新主義を創立せられたる由を、或る筋より私は確聞かくぶんした。

私は、 その変説のあまりに早いことに最初は驚いた。 而して暫く熟考の後、 U氏のこの変説は当然あるべきものだと了解した。

いかに、ニイチェが

主張を固守するために火で焼かれるような馬鹿は俺はしない。 主張の内容はそれ程の値を持つものではないかもしれないから。 しかし主張を宣言したり、主張を変更するために俺を火で焼くというのなら、 俺は甘んじて焼かれよう。

と云った言葉があるにしても、 マルクスの学説について前に少し二三の例を挙げたような、 とてつもなき誤解をして居らるる氏がわずか一二箇月の間に、 マルクスの学説が誤謬であると断言して変説せられたことは、 正常な頭脳を所有して居るものにとっては容易に受け容れることができない。 精神病者の頻出する今日この頃の陽気であるから、 その加減の結果ではなかろうかと思う。

数十年にわたる潜心熟慮の間においてマルクスが仕組み立てた、 しかしてなお彼の死後数十年を要してエンゲルスが整理した学説を、 あしたに読んで賛同し、 その説の駁論者に向って勇ましく戦い、 ゆうべにはその説の誤謬を発見して、それを捨てる。 斯様かような早技が尋常人でよく為し得ることであろうか。

しかしながら、 U氏の論説の書いてある新聞の切り抜きを今再び読んで見た私は、 U氏の変説の不可解の謎が、 たちまちにして首肯し得た。 マルクス学者なるU氏は、真実のマルクスの著書や論文を読んで居られないに相異ないと私は思った。 それで謎が解けたのだ。 もしU氏にして資本論の一頁でも真面目に読んで居られたならば、 斯くのごとき大脱線の議論、 驚くほどの速やかな変説はせられなかったろう。

〔大正10年4月27日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

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