伝説復興: 桐生悠々氏に呈す (上)

鵜飼桂六

最近、私は桐生氏の謂う所「物宗より霊宗へ」と改宗した。しかし、私はマルキシアンよりカンテアンへ改宗したのではない。マルキシアンよりカンテアンを超え、さらにフィヒテアンを飛躍して宗教の世界に入ったのだ。そしてその宗教は世の常の基督教キリストきょうでもなければ真宗でもなく、浄土宗でもなければ真言宗でもなく、日蓮宗でもなければ天台宗でもなく、禅宗でもなければ大本教おおもときょうでもない。否、あらゆる一切の既成宗教ではない、極めて厳粛なる意味においての真正釈迦しゃかの大乗仏教である。換言すれば、私それ自身が釈迦そのままの姿にかわったのである。即ちここに公表せんとする一篇は、こうした考えを拡充したる「伝説復興」の思索史しさくしである。

近代文明は理知や認識の所産たる科学や哲学の万能史であった。科学にらざれば哲学、哲学にらざれば科学というのが近世史の教うるところである。そして科学者は常に無神論を唱え、哲学者は屡々しばしば宗教を認識の世界にまで引下げようとしていた。私はこの意味においてマルクスの唯物史観もカントの理想主義も余り重要視せらるべきものではないと思う。何故なれば、たとえよしマルクスが、ただ単に形而上学的の唯物論のみを宇宙の究竟きゅうきょう性なるかのごとく説きたりとはいえ、カントもまた形而上学的の唯心論を理想主義なるかのごとくに論じて、神秘と奇蹟の絶対的信仰の世界を軽々けいけいに見逃したからである。

それゆえに私は言う、カントがマルクスを批難しても、マルクスはかえってむしろカントの自家撞着じかどうちゃく論を駁撃ばくげきすべき好材料を持っているであろう、と。然り!カントは認識の武器をもってしてもなおかつマルクスの理知に打ちつだけの叡智えいちと信仰とを持っていなかったではないか。カントは実践理性の哲学をもってマルクスの弁証論べんしょうろん上における科学を一溜ひとたまりもなく窮地に陥れんとして、反対にその間隙を突かれたではないか。カントは峻厳なる桎梏しっこくをマルクスに加えんとして、逆にマルクスの過酷なる鉄鎖てっさに繋がれたではないか。ここに私はマルクスとカントとの行詰ゆきづまり、科学と哲学との破産を認めざるをえない。

かくてマルクスの科学はカントの哲学によって若干の修正を余儀なくせられ、またカントの哲学もマルクスの科学によってその欠陥を補填せられたけれども、遂に両者の説はフィヒテの「道徳価値観念論」によって、少なからざる誤謬のあることを発見せられた。しかもフィヒテはカントの範疇を脱し切れない哲学者であった。「カントを知らんと欲せばカントを超越せざるべからず」であるが、フィヒテはカントに囚われていてカントを批判した。ここにも私はフィヒテの行詰りを認むる。

以上私の考うる所にして大過なからんか、科学は常に時代と共に変遷し、哲学もまた屡々時代とともに推移して、ついにはそのいずれが真であり、いずれが偽であるかを知るのよしなきに至るであろう。ここにおいてか鬱然うつぜんとして頭をもたげ来るところのものは「伝説復興」の喚声かんせいである。ソコには真偽を危ぶむ懐疑もない。一切を否定せんとする虚無主義的傾向もない。さらにまた一切の宿命論に支配せらるるであろうデカダン主義の世界もない。しかしそれはある。ただ明るい歓喜にち満ちた神秘の世界と、うるわしい平和の光に浴した奇蹟の天地とのみがある。

〔大正10年5月12日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

目次へ戻る