拝金宗の由来 (上)
法学博士 瀧本誠一
黄金崇拝ということには、
財貨を崇拝すると黄金そのものを崇拝すると二つの意義あり、
前者は所謂 Mammon-worship であって、
近世俗に「黄金崇拝、黄金崇拝」と唱えて人々の唾棄するところとなるは全くこの意義における場合である。
後者すなわち黄金(Gold)を貴重し愛玩して、
あたかも神仏に事るがごとくこれを崇拝するのは財貨を崇拝するのではなく、
黄金そのものを崇拝するので、
前者とは全然その意義を異にするのである。
しかしながら前者の意義における黄金崇拝は、
その起因を尋ぬれば、
やはり後者の意義の崇拝が根源であるらしく思わるるのである。
故に予はここに後者の意義を明かにし、
黄金そのものを貴重し愛玩するの風習が Mammon-worship の勢力を増長するの素因たりしことを立証せんと欲するのである。
今から三十六七年前、
すなわち1884年の頃、
ロンドン大学の教授ペレー氏は
「黄金崇拝と太陽崇拝」
と題する一篇の論文を公にしたることがある。
予が本篇の主旨は全くペレー氏のこの論文に基きたるものであって、
勿論、
より以上の新説を付け加えたものにあらざれば、
予めその事を読者に言分っておくのである。
さてペレー氏の説によれば、
黄金の崇拝
(マムモン崇拝の意味でなく)
は太古世界の各地方において最も盛んに、
かつ最も広く一般的に行われておった太陽崇拝に起因するのである。
全体、
人間が黄金を愛重するということは殆ど遺伝的の慣例であって、
いわゆる第二の天性となっているのである。
世間は何故に黄金を愛重するかというと、
各国いずれの時代においても、
皆祖先より世々代々これを愛重しているから、
誰でも自然に愛重せずにはおられぬようになっているというにすぎないのである。
すべての習慣制度は皆、
変化し消長しつつあるにかかわらず、
この黄金崇拝という事だけは太古より少しも変らないのである。
紀元前四五百年に生存しておったギリシヤの詩人ユウリピディースは、
黄金を以て人間が所有すべきものの中で最も美麗にして尊重すべきものなりと讃美し、
リディヤ(小アジアの古国)王クロシュウス時代(紀元前六百年)よりその近傍の各都市における最大光栄は、
多数の黄金を所有するという事に過ぎなかったのである。
キリスト教はマムモン崇拝を排斥するには極力盡瘁したるも、
黄金崇拝には遂に打勝つことは出来なかったのである。
黄金崇拝の勢力が古今を通じて斯くのごとく偉大であったのには、
何か深き原因がなくてはならぬはずであるが、
それは生産が稀少であるがゆえかというに、
必ずしもそうでなく、
世界いずれの国でもほとんど黄金を産出せざる国とてはなく、
現に錫やプラチナに比すれば比較的甚だ多いのである。
然らば色相が美麗であるがためなるかというに、
真鍮および他の合金で非常に安価なる立派な金属が沢山にあって、
現に銀なども中々美麗なるものの一つである。
採掘に多大の困難あるが、
生産費が余計に掛るかというに、
それも決してそうではない。
然らば一般に貨幣として採用せられ、交換の材料として世界中いずれにおいても喜んで受取ってくれるがためなるかというに、
それはむしろ崇拝の結果であって、原因ではなかろう。
世界中どこでも黄金を愛重するがゆえに交換の材料として誰でも喜んで受取るのである。
喜んで受取るがゆえに愛重するのでなく、
愛重するがゆえに喜んで受取らるるのである。
然らば黄金が斯くのごとく愛重せられ、
貨幣の工夫せられざる以前すなわち太古より世界一般に之を崇拝するに至ったのは、
何らか他に然るべき理由がなくてはならないのであるが、
それは他にあらず、
全く太陽崇拝に起因するのである。
すなわち人間が太古より皆同じように黄金を集め、
黄金の飾りを愛し、
黄金の器を重んじ、
特にこれに対して崇拝の念を起した理由は、
この金属が太陽と同じ色相を有し、
太陽とともに勿体なき神物(divine materials)と認められたゆえにほかならないのであろう。
前に述べたユウリピディースと同時代頃の詩人ピンダーが、
日神の母なるテイーアを呼びつつ、
「人間が黄金を万物の中における最上のものとなしたるは汝のためである」
と叫びたるは、
黄金の神聖なる事を示したる一証である。
黄金が日神の面色に似ているという迷信が、
太古より遺伝的に黄金を愛重し、
崇拝するの風習を来し、
遂にこれに向って非常の価値を置き、
世界一般に交換の媒物として、
古今少しの変りもなく行われた真の原因なるべしと思わる。