或る友人に送る手紙(上)

森田一二

——君。 君の雑誌が発行停止になったということを聞いた。 事実とすれば、君にとっては棲むべき家を失ったも同じいことかもしれない。 が、僕は或る意味においてかえってそれを祝福したい。 右について少しく書いてみたいと思う。

今年の春、N町に君を訪れた時、昨日K町に引越されたというので、たがいにその家を探しまわった。 そしてようやくあの天井の低い屋根裏に君を見つけ出したのだ。 古びた労働服のまま顎髯あごひげを伸ばしている君と、血色のあまりよくないW君の顔を僕は寂しく眺めていた。 事情を明かすと、みんな家を貸さないので家主にはまだ自分達の身の上を知らしてないのだと君は云った。 それから久しぶりのこととて、君は酒でも呑まないかとW君を顧みたが、君の生活が余りに逼迫ひっぱくしているので、僕はそれをうけるに忍びなかった。

「そうか、じゃめにしよう」と云った君の言葉の裏には欠乏の寂しさがありありとうかがわれた。

しかし君に会う時、いつも心強く感じるのは、君は貧しくとも立派に労働者として生活していることだ。 浮浪者として生きている者の主義には、往々にして自己欺瞞がある。 その肉体的と精神的たるとを問わず、働くことを回避しつつ、宣伝そのものを己れの衣食の方便としている者がある。 僕らはそうしたやからの主義には耳を借すことは出来ない。 一日に一粒の飯を喰っていてもいい、自分の力で地上に立っている者には真実ほんとうのことが云える。 君の出していた雑誌に敬意を表していたのはそれである。 真黒になって働いて得た衣食の糧の一部を割いて発行している雑誌には、それに値する血が通わないでおかないのは当然である。

けれども君はその時、悲痛な話ばかりをして聞かせた。 それは君の雑誌に関係しているために落第をさせられた高等学校の生徒の話、勤め先から解雇されて東京に流浪した友の話——。 僕はそれを聴いた時、なんともしれない圧迫を感じないではいられなかった。 正しきものを求めて得られないとするならば、人間は生れて来たということが既に大いなる不幸だ。 しかもなお生きなければならないのだ。 この悩みこそ常に吾々われわれ脳裏のうりを離れないものである。 落第をさせられた生徒、職を奪われた友——僕は君の話を通じてこの未知の人々の境涯を察する時、求めて得られないばかりでなく、従来これまで持っていたものまで奪い取られてしまった心持ちには同情しないではいられない。 しかし一面から見れば、これは主義に向って進むところの愛の力の試練である。

君の雑誌によく反抗という文字を見た。 而して君達に言わせばそれは圧迫に対する反抗であるといった。 その時、僕はこれに反対した。 殊に反抗のための反抗を極端にしりぞけた。 なぜなれば、吾々のもっているところの燃焼力は圧迫を感じるような生温かいものではないからだ。 なお反抗なる言葉の裏には弱さと感情の濁りとが含まれている。 非だと思いつつも是だと云いたがるのが反抗である。 是を是と認めて行くところに何の反抗があり得よう。 僕はむしろ反抗なる言葉の存在を呪い、それに値する行為をしりぞけると云った。

〔大正10年6月13日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

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