貧の真因を論ず (1)

法学博士 瀧本誠一

(一) 緒言

現代社会の欠陥は、これを約言すれば、貧民という一階級の存在に帰着するのである。 富者ふうしゃはますます富み、貧者はますます貧にして、将来は少数の富者の周囲に大多数の貧者が聚集しゅうしゅうして、現社会はこれら貧者のために顛覆てんぷくせらるるの運命を有するもののごとく想像するは、社会主義者の迷夢にして、もとより取るに足らざるも、社会の富の分配が甚だ不平均であって、一方に巨万の富を有する者あると同時に、他の一方にはいわゆる儋石たんせきもうけ立錐りっすいの地もなくして富者のために苦役せらるる者あるは明らかなる事実である。 しかしてこの事実が現社会に現わるるあらゆるアラユル弊害の淵源であって、コレさえ除却して、貧富の懸隔を平等にならし得るの手段あらば、まずソレで、人間社会の欠陥は大抵救済の目的を達し得らるるのであろう。

しからば人間がこの社会に生れでて或るものは富者となり、或るものは貧者となるの原因は何であるかを研究して、この問題に明確の解答を与うるのが、何より最先の急務であるが、従来この点に努力して、やや満足の説明を試みたる者すら、絶無であるように思わるるは、我々の甚だ遺憾とするところである。 今や学者と云わず、政治家と云わず、禰宜ねぎ釈氏しゃくしも争って社会問題に没頭しながら、未だかつて一人としてその要領を得たるものなく、皆いずれも見当違いの断定をくだして得意の色あるは、畢竟ひっきょう、貧の真因は何であるかが分らずして、滅多矢鱈めったやたらに勝手の主張を通さんとするがためである。

朝夕油断なく真面目に齷齪あくそくとして働きつつあって、一向に金のたまらぬものがある。 さすれば勤勉なれば必ず貧を免るるとは云えないようである。 節倹を極端に励行し、いわゆる爪に火をともしてシミタレなる生活を事とするも、ソレでも少しの貯蓄も出来ず、わずかにその日暮しの生命を持続するに過ぎないものがある。 さすれば節倹ばかりでも窮を救うに足らざることは明かである。 勤勉もダメなれば節倹もダメであって、この二つの武器が貧乏神を征服するの力なきことは、実際上の事実の証明するところであろう。

勤勉や節倹でも貧を免れ、窮を救うに足らずとすれば、学力あり知識あるものは富んで安楽にその一生を送らるるかと云うに、ソレは決してソウでなく、学問などに没頭して居る者が常に生活難を訴え、妻子の扶持にすら苦しみつつあるは、もとより普通の事であるが、ソンな専門的の学究でなくとも、人並以上の知識を有し、世上に物識ものしりとして称揚せらるる一廉ひとかどの人物であっても、さらに立身出世の沙汰もなく、始終、窮々として貧乏生活を脱すること能わざるものが少くないのである。 しからば信義を重んじ、礼儀を正しくし、他人の物はびた一文でも誤魔化すことはできぬというような、正直一方の人は処世に成功して豊かに一生を送らるるかといえば、必ずしもしからざるのみならず、かくのごとき正直者はかえって多くは不幸の域に沈淪ちんりんし、正直なれば正直なるほどその割合に貧乏が甚だしいというような事実あるは我々の常に目撃するところならずや。 故にこれらの事を考え見れば、知識当てにならねば、徳義も当てにならず、勤勉や節倹と同じく知識や徳義の力でも、とうてい貧乏神に抵抗することはできないようである。

近き過去における欧州大戦の余響を見れば、その交戦地以外の方面、殊に米国および日本などにおいては、これがために多くの成金を生み出し、数億円、数千万円の巨産を造って揚々ようよう得意の色あるものは必ずしも勤勉家というほどの者でもなく、また節倹家でもなく、どうかといえばむしろ多くは怠惰者、道楽者であって、勤勉だの節倹などいうようなことは平生すこしも心がけなかった者であろう。 さすれば知識徳義の点においてはなおさらの事であって、彼らの大多数は眼に一丁字もなき卑しき俗物にして、しかも他人に対する信義の観念など爪の垢ほども有することなく、まことにいかがわしき人格の持ちぬしの方が多いということは誰も否認し得ざる事実であろう。 すでに成功して成金になりたればこそ、一般俗界においてこれを持てはやし、彼が少年時代にはドコか非凡なえらい所があったとか、彼が先見の明あったことは爾々しかじかであったなどと、種々もっともらしき道理をつけて、これを称嘆するも、その実、成金先生御本人にも、自分がその日暮しの貧乏生活より一躍して王侯を凌ぐ大富豪となりおおせたるは、ドウしてなったことやら恐らくは分らないであろう。 まして他人にその理由が分ろうはずはないのである。 ゆえに昔の学者は富貴天にありということを説き、 「人間の一生はあたかも落花の風にしたがってひるがえるがごとく、錦茵きんいんの上に墜ちたるものは富貴にして、汚泥の中に落ちたるものは貧賤である。富貴も貧賤も人力のあづからざる運命である」 といって、諦めることの必要を主張しているのである。 しかれども今日の我々は、かくのごとき呑気の説に服従し、社会のアラユル患害の根本たる貧の原因を運命に帰して、平然と済ましているわけにはゆかないのである。 これ予がここにこの貧の真因を研究して、世論に問わんとするゆえんである。

〔大正10年7月17日 『新愛知』 1面論説〕

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