人類滅亡論 (上)
鵜飼桂六
人類史あって茲に幾千年、近代文化は光芒燦然として輝いて居る――とは言うものの、動ともすれば第二のソロモンの栄華の夢に酔わんとするの傾向さえもある。現に聖く美わしかった霊は醜く卑しい肉に、信仰は智識に、感情は理性にというように、腐敗し、糜爛し、円熟し切った廃頽的な、享楽的な、悪魔的な唯物思想のために、いかに多くの人類が日毎日毎に刹那主義の方へと堕落し行きつつあるか。
そうだ。今にして憶えば、肉はあらゆる罪悪の根源であり、霊の墳墓であると絶叫した先哲の言が、昔ながらに偲ばれて来るのである。もし然らば、「肉」は果して「霊」でなく、「霊」は果して「肉」でないであろうか。ここに私は断乎として宣言する――実に「肉」は「肉」として、また「霊」は「霊」として、別の世界に在るものである、と。浅薄だと嗤うものは笑え、素朴だと罵るものは罵れ。私は飽くまでも頑強に、喉破れ、声涸れて後もなお、「肉は霊にあらず」、「霊は肉にあらず」と高調して憚らないものである。
追想すれば、今より三千年の太古であった。印度の迦比羅城主首図駄那の一子として降誕した悉達多は、あらゆる人生の栄耀栄華の限りを尽して育ったが、一日ふと甲虫の猛禽に啄めらるるを見て世の無常を感じ、卒然として期するところあり、終に二十九歳を機縁として、嵐毘尼の楽園を去ったのである。顧うに彼れ悉達多が、肉の王位を弊履のごとくに抛って、纔かに一介の求道者となったのは、そこに已むに已まれぬ人生の傷ましい悩ましさがあったからだ。哭して天に祈ればとて、天は最早や慰めでない。泣いて地に叫べばとて、地にはすでに仏は居ない。ただ聞こゆるは、鮮血淋漓として痛手を負うて斃れ行く沈勇の士の断末魔の蠢き声ばかりである。おおそうだ。生きながらのこの修羅の巷が、有るがままの苦悶の姿だ。斯くして森厳なる事実に面前した彼れは、親を棄て、子を棄て、妻を棄て、宝を棄て、王冠を棄てて、一夜窃かに白馬に跨って、いづくともなく掻き消えたのである。
古往今来、世界が産み出した聖賢俊哲は数知れぬほどあるが、而かもその中に在りて釈迦が唯一無二の偉人であると激賞せらるる所以のものは、そは未だ私どもの知れる限りにおいては、何人といえども行い得ざりしところのものを、敢て体現せるがためである。恐らくは、ヨルダン河の畔、ガリラヤの辺に、愛の新福音を説いて、「天国は近づけり、悔い改めよ」と叫んで、従容として十字架上に永遠の沈黙を守るに至った基督の嗟嘆よりも、なおかつ深く高きものがあったであろう。遮莫、口に言わんとして言うことを得ず、筆に書かんとして書くことを得ず、ただ身をもって教えに殉ずるの根本精神においては、釈迦も基督も更に聊かの逕庭をも有せざりしところのものである。即ち「肉」に斃れて、「霊」に甦らんとした点においては、全く同じであったのだ。
爾来、星飛び、物移って、今はその英姿に見ゆるのよすがもないが、到る所の寺院教会には、釈迦の仏像があり、基督の像がある。その像に礼拝して、釈迦および基督の真情に想い到る時、私は常にいみじき敬虔の念に打たれざるを得ない。固よりこれらのものは一個の偶像に過ぎぬでもあろう。而も私にはその一個の偶像がこよなく懐かしいのである。
〔大正10年7月19日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕