『動揺と不安』

悠々生

『動揺と不安』とは近日東京の書肆しょし隆文館から出版される「緩急車」第六輯の表題である。 すなわちさきに日本図書株式会社から出版された『有らゆる物の書換』の姉妹編であって、大正8年から大正10年に至る三箇年間の本欄に掲載されたもので、際物きわものでない、腐らない罐詰かんづめものの論文だけを集めたものである。

さて私はこの書を校正しつつある際、右三箇年間における私の思想が如何に変化したかにつき、むしろ驚かざるを得なかった。 いな、変化というよりも、私はむしろ一定の思想を有していないことに驚かざるを得なかったのである。 私の思想は動揺しつつあった。 そしてそれは今もなお動揺しつつあることを自覚する。 こう思うと、私はつ驚き且つ自ら愛憎あいそをつかさずにはいられない。

けれども翻って一考すれば、動揺しつつあるものは、独り私のみではない。 戦後世界は今動揺と不安に悩みつつある。 この世界に棲んでいる一人の私だもの、どうしてこの悩みを悩まないでいられようか。 然り、最近三年間における私の思想は動揺に動揺を重ね、そして私の生活は不安に不安を重ねた。 私はこれがために今もなお非常に煩悶しつつある。 けれども、これが世界の悩みである以上、その世界の悩みが取除けられなければ、私の悩みもまた取除けられない。

動揺と不安の結果は煩悶であり、矛盾撞着であり、少くとも妥協互譲である。 あるいはまた笑うべき行詰りであるかもしれない。 かつて一たび極端なるデモクラシーに徹底したサヴェート露国すらも、今日では資本主義と妥協せずにはいられなくなったことを見ても、そのかんの消息がうかがわれる。 レーニンのいうところ「息休め」がそれである。 そして彼は英国の前に屈服した。 もちろんロイド・ジョーヂもまたレーニンの前に屈服したのであるが……。 そうだ、戦時中から戦後の今日にいたる間、ロイド・ジョーヂの政策が如何に猫の目のように変ったであろうか。 こうした二、三の世界的事件を見ても、私の思想の動揺と、私の生活の不安はあながち是正されないことはない。

私は曾てデモクラシーに反対した。 そして吉野博士の民本主義の錯誤を本欄で指摘した。 それは猫も杓子しゃくしもデモクラシーを口にしたからではなく、いうところのデモクラシーの内容が識者をして首肯せしむべく、あまりに貧弱であったからである。 特に実際政治の局に当るもの、真面目に政治を論ずるものにとって、日本的に何らの修正を経ないデモクラシーはあまりに危険であり、少くとも余りに非実際的であったからである。 然らば私は徹底的にデモクラシーを攻撃し得たかというに、そうではなかった。 かえって反対に、私は周囲の事情と世界の大勢に引ずられつつ、デモクラシーの方へ方へと進まねばならなかった。 何という意気地のないことであろう。 何という思想の売節漢ばいせつかんであろう。

けれども、曾て本欄に述べたるごとく、私は今もなお「人生即矛盾」と思うものである。 人生は矛盾していればこそ、興味がある。 矛盾しない人生は概念に過ぎない。 人間は生れながらにして、二元に支配される。 最近、或る友人の勧めによって、スティブンソンの『ドクトル・ゼキールとミスター・ハイド』を読む。 そして悪の権化たるハイドが如何に煩悶なく、且つ不動の勇気を有しているかに驚くと同時に、善の権化たるゼキールが如何に二元のために悩まされ、むしろ憐れむべき眞理状態に在ることを悲しまざるを得なかった。 けれども、私共は人間として生れた以上、そして何らかの善をなそうとする以上、二元に悩まずにはいられない。 二元こそ人生の真態ではあるまいか。 動揺と不安、矛盾と煩悶、これが人間の辿たどるべき、死に至る道程である。

こういえばとて、私は絶対の悲観論者ではない。 私は進化ないし進歩はリズムであると思うものである。 水は一高一低の波をなしつつ川を経て、海に注ぐ。 そこに水や川の生命があるように、私共の思想や生活もまたこうした高低のリズムを経て進化し、進歩するのである。 老人の思想や生活は硬化して動揺しないが、子供や青年の思想や生活は柔軟性、屈伸性を有するがため、常に動揺し、不安を感じている。 さればこそ彼らは有望なる将来を有するのである。

以上、私は私の著書を出版すべく、あまり自らを是正しすぎた。 あまりに自らを弁護しすぎた。 けれども、人間が何か事をなそうとすれば、多少の自己是正、自己弁護がなければ、心もとなくて、何事をもなしかねる。 それが即ち自信というものであるという自惚うぬぼれを、どうぞ私に許してもらいたい。

〔大正10年7月29日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

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