偽善者よ さらば
そうだ。 お前は偽善者だ。 世の中に、お前ほどの偽善者がまたとあろうか。 お前は資本家の手先となって働いているのか、それとも労働者の味方となって働いているのか、ちっとも分らない。 そこにお前の偽善の根が据えられているのだ。
お前の行動は時としては、非常に熱烈なものとなって現われる。
そして資本家に対してかなり猛烈なる反抗となって現われる。
けれども、お前には資本主義と戦って、これをぶち
英国の労働党の首領は口でこそ猛烈に資本家に反抗して、労働者に味方していても、実際の行動に至って労働者の利益を
労働争議ブローカ!
司法当局も皮肉な宣伝をするね。
けれども、お前にはその争議をブロークするだけの勇気もなければ、そうした力は無論ない。
ただ小犬が土佐犬に対して、おっかな
元来お前は労働者の子か、
ないし労働者の出身か。
ブルジョアの子ではないか。
労働者のために、また労働者とともに、資本主義に対して、真剣に戦うべく、お前は余りに品がよすぎる。
お前には衷心から労働者の生活を理解し、したがって衷心からこれに対して同情を寄するの資格がない。
クリストは大工の子であってこそ、はじめてああしたデモクラシーを唱えることができたのだ。
お前は偽善者だから煩悶するだろう。 煩悶するのはあたりまえだ。 煩悶は偽善の報いだ。 偽善者となるよりも、お前は偽悪者となれ。 偽悪者だって煩悶はある。 けれども、その煩悶は偽善者のそれよりも、より少くして、より軽い。 何だと、偽悪者になれというのはどうせよと言うのだと。 知れたことでないか。 労働者の味方らしい顔をして、その実、資本家の手先となっているよりも、むしろ全然資本家の手先となって労働者を圧迫せよというのだ。 そして労働掠奪額の分前を貰ったほうがいい。 その方が精神的に少しばかりは煩悶しても、その煩悶は物質的の好条件によって慰安されるから、何でもない。 その方がお前のような人間にとっては、よっぽどましだ。
お前はほんとうに意気地なしだ。 お前にはそうした勇気もないと。 酔生夢死さ。 お前のような生活をして、墓場に到着する。 それを酔生夢死というのだ。 けれども凡人はみんなこうした酔生夢死の徒だよ。 だから、俺はお前ばかりを咎めようとはしない。 そのかわりに言っておくが、未来主義というものを忘れるな。 未来の生活を思ったら、そう急ぐ必要はない。 今日種を蒔いて、今日刈ろうと思ってはいけない。 明日でも、明後日でもいいから、蒔いた種を刈ることができればそれでいい。 無論これは個人的、家庭的のことではなくて、社会的のことである、ということを忘れてはならない。 偽善者よ、さらば。 社会のため、未来のため、自重自愛せよ。
〔大正10年8月10日 『新愛知』 「緩急車」欄〕