木曾川遊記 (上)
鵜飼桂六
最近
金子卯吉氏
私を訪れて大いに木曾の絶景なるを推賞す。
中にも東濃兼山より尾北犬山に下る行程四里の船路は、洸々陶々、洋峨の奇、能く筆舌に尽されずと言う。
語に力あり、話に熱ありて頗る面白し。
茲に於てか、興趣憂鬱の気、勃然として湧起しぬ。
即ち八月二十六日未明、赤尾氏と共に中央線を経て多治見に到り、それより軽便鉄道を伏見口に棄てて、半里の道を兼山に上る。
風は無けれども雲あり、而も密雲重畳たり。
天候の険悪なるを悲しむ。
時に十時を過ぐる五分。
船宿に行きて便船を問えば、早朝既に出づと答う。
翌日にあらざれば目的を果すことを得ず。
已むなく方向を転じて八百津に赴く。
徒歩一里の所なり。
無聊のままに行く行く赤尾氏と共に相談じ、相論ず。
一切の人工の災せられて、些かも原始自然の面影なき都会、殊に名古屋の如く将来大名古屋を以て理想とするがごときこの俗悪の都会に居住して、科学を論じ、哲学を論じ、藝術を論じ、宗教を論ずると雖も、瞬時の気安めに過ぎざるを思う。
況んや社会改造を論じ、労働運動を論ずる虚偽をや。
自然は赤裸々にして一物の蔵する無し。
友を呼べば山あり、水あり、岩あり、木あり。
嗚呼
自然は凡べてを超越す。
詩を超越し、歌を超越し、俳を超越し、文を超越し、画を超越し、音楽を超越す。
よしは詩人の詩も、よしは歌人の歌も、よしは俳人の俳も、よしは文豪の文も、よしは画伯の画も、よしは音楽家の音楽も、豈に及ぶべしやは、
自然の詩に、歌に、俳に、文に、画に、音楽に。
ここにのみ自然の美は存し、自然の意義は存し、自然の価値は存す。
人生竟に如何。
ただ渾然として寂寥孤高の自然に融合せんのみ。
斯く思いて高らかに蘇東坡の「赤壁の賦」を誦すれば、身 真にその境地に在るの感あり。
すでにして八百津に着く。
絶景なりと言うにはあらざれども、渡船場の畔、眺望頗る佳し。
船を問えども依然として無しと答う。
終に旅程を変更して宿泊に決す。
八百津は山なり。
その中腹に扇屋と謂う旅館あり。
伊勢よりの行商某氏、中途より道連れとなりしを縁に、案内の労を執る。
感謝に堪えず。
到りて午餐を喫し、少憩の後、名電燈の八百津発電所に向う。
風雲この時より愈々急を告ぐ。
されど大宇宙をも猶お家とするは是れ無産者の常。
頭ぶぬれを予想して出発す。
旅館より約二十町。
規模稍々大なれども自然の前には一顧の価値だにも無し。
名古屋市内の住民が、ここより電力の供給を仰ぐかと思えば、畢竟人間業は児戯に類せざるを得ず。
帰らんとして踵を回らせば、濠雨沛然として降る。
意気頓に軒昂たるを覚ゆ。
雨を冒して悠々帰路に就く。
或は涼しく、或は冷やかに、一種名状すべからざる心理状態なり。
道半ばにして雨上がる。
氷を飲みて咽喉を潤し、日未だ高き頃旅館に入る。
翌日は犬山下りなり。
喜びをこの一点に懸けて、赤尾氏と共に将棋を指す。
両者倶にヘボ将棋なれども、四十七歳の禿頭老人赤尾氏は、二十三歳の青二才に両桂の将棋なり。
如何に赤尾氏がヘボ将棋なるかは此の一点をもっても推することを得べし。
一勝一敗、虚々実々にあらずして、連戦連勝、百戦百勝のうちに一日は暮る。
時に午後十時。
明くれば廿七日の午前三時半、船出づと報じ来る。
蒼皇として朝食を喫し、便乗の用意全く整う。
然るに何たる不幸ぞ。
夜来風雨の声は熄まず。
再び風雲急を告げて、雨益々繁く降る。
万一を僥倖して待てども晴れず。
已むなく昨夕の戦いを続く。
飽くまで弱きものは弱く、強きものは強し。
赤尾氏獅子奮身の勇を鼓すれども惨敗また惨敗、秋風蕭条の感、転た眉宇の間に現わる。
私と雖も血なきを得ず、涙なきを得ず、数番氏のために惜しき貴重の敗を被る。
氏の得意限りなし。
その得意を思う時、その得意はまた軈て私の得意なるを信ず。
世はどこまでも相互扶助ならざるべからず。
この意味においてマルクスは終にクロポトキンに一籌を輸せざるを得ず。