無産労働階級の宗教的特質(上)
葉山民平
無産・労働階級の兄弟は、一般的にどんな性格を持っているか。このことを考えてみるのは重要なことである。
わが兄弟たちは大約二つの部分から成り立っている。一つはゴルキーの所謂「零落れたる人」であり、一つは浮び上る機関に故障を生じた潜航艇のごとく、浮び上る見込のないままに永久に葬られる人々である。この二つの中、前者は反抗的であり、後者は絶望的である。とまれ、わが兄弟らを蔽うものは陰鬱なる、磐石のごとき雲である。
われらにとってさまで好都合でないこの社会にあって、われらは如何に生き、如何に考え、如何に信じているか。
われらは北極における微生物のごとくに、われらを圧迫する社会組織内に伝統的な順応性を拵らえ上げた。通常人には「いっそ死んだ方がいい」ほどの窮迫状態にあって、われらは「生」を活きる道を講じ、剰つさえそれに歓びをさえ加えようとして、あらゆる貧乏哲学を考え、あらゆる簡易生活を組織立てた。そしてこの努力は驚異に値する生活を建設した。そこではわれらは最も原始的であり、思想的、物質的の最高の生活様式を作った。つまり、そこには非常に犯罪が少く、伝染病が発生しないし、そこでは人々があたかもたった一人ででもあるかのように「愛」によって結合された。
そして重要なことは、われらは以上のことを、われらのために為たのであって、それを発表し、誇示し、またはそれによって人類を「救済」しようなどとは決して考えなかったことである。また、われらの生活について、どんな批判、杞憂が、われら以外の社会において流行的に行われていても、われらはそれに対して、「私達は無意識に敬虔なる聖者のごとき生活をしています」と証明する文字も言論も教育も持っていないし、また為しもしないのである。
われらの生活を戸口から覗いたならば、諸君は、内部が真っ暗であって、じめじめしており、プンプン悪臭を放ち、狭くってゴロゴロしており、騒音で満ちており、「神」がかくのごとき居心地の悪い場所に住みそうなはずがないと思わるるであろう。なるほどそこには神の姿は見ることができない。
しかしそこには悪魔の衣を着て「神」がゴロゴロしているのだ。諸君は穢ない神だと云うだろう。よろしい。われらは限りなき忍従と敬虔とに仕えている「愛の神」をそこに見出し得るのである。
我らは知っている――わし達あ、貧乏で穢ないんだ、わし達あ分別のないやくざものだ、わし達あ人様の厄介で何のお役にも立てないんだ、と。そしてかくのごとく謙譲なる人々は、われらの仲間以外に多くを見ないのである。
われらの仲間では、誰も遊んでいて人の厄介になろうとはしない。よぼよぼの老人も、ようやく働ける七八つ子供も、自分の力の能う限りにおいて自分を養うことに努力しているのである。われらの兄弟の中で都合よく貯蓄を為し得たものがあっても、彼は矢張り屑拾いをしており、襤褸を纏うているのである。
名古屋労働者協会の会員にS君という一人の青年が居る。この人は人の集まった前ではほとんど唖ではないかと思われるほど黙っている。S君がある夜、私の家で私に語ったことを、私は瀆しはしないかと恐れながら、書いてみよう。
私は小学校の、よく覚えませんが、たしか四年の頃、一度自殺しようとしたことがありました。
学校から帰りに方々彷って、夜の二時に家から来た迎いの者に捕まったのでした。
私の小さな頭に、何故世の中はこう苦しいだけのものだろうと思い詰めたのです。父が病気で臥したために、十二を頭に八人の子供が飢えたのです。
私は二番目でしたが、六人の弟や妹の可哀想な有様がひどく私の心を撃ちました。
私は迎いの隣人に連れられて帰る時、夜目にもはっきりと見ました。
私の住んでいる貧民窟が行き倒れのように黒くへしつぶされて横たわっている一方に、盛装した貴婦人のようにある富豪の別荘の白壁が聳えていました。
私はその後十年間、私の能う限りを労働しました。
私は資本家を決して憎みません。
けれども、人間は一方で働いても働いても食えない時に、一方で遊んでいたり、贅沢をしたりしてはならぬと思いました。
〔大正10年9月28日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕