愛知時計の争議に就て (1):一般的観察

小林橘川

愛知時計の争議については、私は今それを批判するに忍びない。けれども私はこの場合、名古屋労働者協会の一員として、かつその顧問という与えられたる地位にかえりみ、さらに今度の争議中に、吾が協会員が関係しているという理由から、この争議を厳正に考察しなくてはならぬ地位にある。私はあえてここにこの争議を批判するのではない。ただ私の所信をべて、あわせて私の立場を明かにするのである。しかし私は私の立場を弁護するために陳べようとは思わない。私の所信をのべるのはやがて労働運動に対する私の批判を説くのである。私は批判の地位を捨て、私の理性を捨てて盲目になり切れる勇気がない。

私は、毎日涙ぐましい心を以て刻々に集まって来る争議の報告や通信や情報に接している。もう戦いは開始されて五日を経たのだ。よくも職工諸君が、乏しいあの戦陣を張って五日間も持ちこたえたものだと思う。訓練もない、組織もない、準備もない職工諸君が、これほどまで勇敢に、健気けなげに奮闘をつづけていることは、何といっても奇蹟きせきとよりか思われない。もし自己の生活の不安に目覚め、階級意識の自覚に深められないならば、これだけの戦闘は到底持続されなかったであろう。

一般論として、私は同盟罷業を労働者の権利として認めるものである。私が認めるばかりでなく、床次とこなみ内相ですら二三年前、議会において労働者に罷業権のあることを言明している。ただ現代の法律においては治安警察法第十七条において、煽動せんどう、誘惑するものを所罰しょばつすることになっている。煽動、誘惑の罪科ざいかあたいすることは云うまでもない。しかし煽動と宣伝との差異は紙一枚の距離である。誘惑と勧誘とは形容詞の使用の相違である。どこまでが宣伝で、どこからが煽動であるかは一々の事実について判断するべきものであるが、その判断の標準すら実は何らるべきものがない。

愛知時計に何故この争議が起ったか、何故それがただちに罷業状態に入ったか、世間では名古屋労働者協会員がこれに関係しているので、協会が煽動したのだと見る人もある。罷業の元兇げんきょう小林こばやし橘川きっせんであるという人もある。罷業が労働者の権利である以上、元兇などという穏かならぬ文字を用うるのは笑うべき無理解であるが、論者は恐らくそういう意味でなく、私を煽動の元兇だと見たいのであろう。煽動が現今の法律においてつみせらるべきものである以上、私がもし煽動でもしているのであるならば、煽動の元兇という文字があてはまるかもしれない。しかし論者は罷業を罪悪視するふるい観念を捨てなければならない。それからでなくては罷業を論ずるの資格がない。何はともあれ、愛知時計の争議は煽動によりて誘発されたか否か、私はそれを知らない。しかし労働争議が一般的に見て、煽動によりて誘発されるとのみ観察するのは誤謬である。たとい煽動が多少争議を誘発する素因もととなることはあろう、しかし会社内部の組織経営内に、何らの争議を起すべき事態がなければ、争議は決して起り得るものではない。だから煽動は争議に対して傍因ぼういんであり、しかして真因は会社内部の組織経営それ自体の内に潜在する。恐らく現今のあらゆる工場は、それ自体の内に労働争議を惹起じゃっきすべき欠陥をっているであろう。それが労働者の無自覚なる間は、無事に過ぎて来たのであるが、多少とも眼覚めたる職工をゆうする会社にありては、これが労働争議を早晩惹起せずにはすまないのである。そしてかかる争議は比較的大きな工場に多く、賃金の良好なる、余裕の多い工場に多いのは一般的傾向である。

川崎、三菱のごとき大工場に争議が起ったのは、それが大工場で、大多数の労働者を包有し、かつその賃金生活が、他の小工場に比して優るとも劣らざる工場であるからである。即ちかかる工場には、余裕ある労働者があって、新思想に触れる余裕を有つものが多いからである。愛知時計に、名古屋最初の労働争議が起ったのは、それが名古屋における大工場の一つであり、一千名に近い労働者を有し、而してその中には新思想を修得するの余裕ある職工を多数に所有しているからである。当今の資本主義的組織によるところの工場には、争議を惹起すべき一般的欠陥を有っているのであるが、それが比較的大工場に勃発するのは、以上の理由に外ならない。愛知時計だけが特に際立ってその欠陥が大きいというわけではない。むしろ争議の惹起される会社には、眼覚めたる労働者を有する点において、他の会社よりも進歩しているとも見られるのである。そうでなければ川崎や三菱にあんな問題の起る理由が解釈されないのである。

しかし眼覚めたる労働者はその生活の安定と自由とを確保するためには組合の組織下に集まらねばならぬ。完全なる労働組合の組織は、完全なる労働者の自覚の表象である。然るに愛知時計には未だ何ら労働者間に組合がない。組合なくして要求するは必敗の外にみちがない。愛知時計の労働者諸君は組合を有たずして要求した。およそ要求は、眼覚めたる職工から自然に芽生えするものである。けれどもその要求は組織されねばならぬ。組織し、整理されない要求は効果を生ずることがない。すなわち労働組合によりて結束せられ、組合の訓練によりて組織されない要求は、たといその要求が至当であっても、有効なる成果を得ることができぬ。その意味において、愛知時計の争議は労働者側によりて早まり過ぎた観がある。

しかし、この争議の首脳者達はそれを充分に承知していた。そして必敗を期して戦闘を開始した。それは徒労にしてかつ無謀むぼうなる戦いであるというだろう。なるほど、そういう点のないでもない。けれどもかの首脳者達は戦わんがために戦うたのである。むしろ敗れんがために戦いを開始したともいえる。階級意識に眼覚めたる首脳者達の態度はおのずから、そこに落ちて来る。かの首脳者達はそうすることによりて労働者の階級的意識を振起しんきさせ、資本家を警醒けいせいし、あわせて社会を警醒しようとしたのであろう。なるほど、それだけでもこの争議は意義ある教訓を社会に与えるであろう。しかし私は労働組合の本義をしかく消極的、絶望的、自暴自棄的に導きたくはない。私は犠牲多き争議を惹起ひきおこすことを好まない。

私は大体論として以上のごとき態度をっている。この態度は私の労働運動に一貫する所信である。内容を充実するに急なれ。外部的運動に眩惑していてはならない。私達はまだ何らの力をっていないのだ。軽挙妄動してはならない。ただ団結せよ。而してただ団結を大きく、力づよくせよ。それが私の態度であり、名古屋労働者協会員多数の態度であった。然るに突如として急進的少壮の二三の諸君が、愛知時計の諸君と共に突如として立ったのである。真に突如として、やぶから棒の唐突とうとつさをもって立ったのである。

しかし、私の一般的態度は以上に止めて、目前の争議に対する所信を陳べたい。(未完)

〔大正10年10月10日 『名古屋新聞』 3面論説トップ〕

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