泣けない

天邪鬼

明治五年に京浜間を走ったいわゆる陸蒸気おかじょうきがもう六千マイルから延びている。 山の中も川の中も走っている。 五十年。 そう考えたら長いに違いない。 物質的な発達から見たら、 たしかに大したものだが、 吾々われわれは物質的に発展して行く裏に明治五年そのまま少しも伸び拡げさせられていない鉄道魂を見逃すわけには行かない。 華やかなもののかげには虐げられ、ひしがれたものがある。 パッと咲いた草花の群れにも石にヒシがれて咲けない一本がある。 院が独立した一省となってゆく間には、 今と同じに虐げられた抑えつけられた哀れな多くの従業員が泣いている。 でも立派そうな世間体の鉄道省が存在している。 泣けない気がする、考えてみると。

公徳標語が到るところに張り出されている。 現業委員会を設ける。 共済組合規定を拡張する。 でもやはり制服のカラが首をしめる。 何ということだ。 泣けない、考えてみると。

一部の人がうまいことをするために多くの人が犠牲にされることは、 家庭は主人の出来心の犠牲となすべきものでないと同じだ。 鉄道の代議士と幾分従業員の気を安めた現業委員会も、 参与員が定められたり(そは好いとして)、 議長がいわゆるエライ人の中から指名されたりして、 頼りない不安を再び従業員に与えている。 「出したって撤回だ」、 そう云って問題を遠慮するほど、 いわゆるエライ人のエラサが働いている。 泣けない、考えてみると。

現業非現業。 そこにも近頃やかましい資本家対労働者の関係に似たものがある。 でも鉄道の下級現業員は、 どこへ行っても使ってもらえるという技術者でもなく、 免状持ちでもなく、 二男三男の家の厄介もの乃至ないしは 「マア仕方がない、で、鉄道これでも」 というものが多いので、 怠業もせずに長い物には巻かれ通して、 食うことに夢中になっている。 大臣だか次官だかは、 鉄道員はそうした争議に関係するほど不遇でもなく、 また各自が各自の立場を理解して居てくれる、 と喜んでおられる。 鉄道のために働いていてやるというのでなく、 鉄道のために食わせてもらっているという因襲的な頭が残っているためもあるが、 何より生活と身体の余裕のないために、 各自がどのぐらいその意志をげさせられているか知れない。 待遇が決して良いのではない。 むしろ悲惨なものがある。 縁の下の力持ち。 それが現業員だ。 某所へ行くと、 非現業は高等官だ。 夏は暑中につき午前だけといって、 朝は少し早いが午後はもうお帰りになる。 その他でも、お昼休みにはラケットを持つ、 バットを持つ。 もう朝出勤するから裏庭辺でネットの手入れに余念のない暇な方もある。 机に向ってルールを読むのにも熱心な方も見える。 俺の知っている車掌さんはこう云っていた—— 「僕は線路工夫や法被はっぴを着た人が乗ると、 どんな狭い腰掛けでも分けてやらないと済まないと思うが、 ちょっと金ボタンを光らして黙って緩急車へ入って腰を掛けられると、 ムカつくから立ってくれって云ってやるよ」と。 現業の方のことを考えると泣けない。

五十年祝典で文鎮ぶんちんもらって帰る友に会う。 醜いレールの切片に過ぎぬ、 あんな無細工な、 半紙の上に置いてすべらせたら紙が裂けるような文鎮を吹聴して配られて、 「私も一つ頂きます」 と云って貰って帰るではまらない。 聞けば格好のよく出来た方はどこでも大抵いわゆるエライ人がエリ抜いておられる、 「僕らは下級だから黙って礼をして貰って来るのさ」と。 考えてみると泣けない。

経費節約といって大分内部では切りつめられているが、 五十年祝典の費用はどこからと聞いたら、 友の曰く、 「今年中に外套配給無き時は自然延期と心得べし」と有難いお達しがあったと云う。 一年送りにした費用は大したものである。 二年ごとが自然また三年になるだろう、と友は淋しく笑った。 お祭騒ぎは秋の気候の好い時を見計らってやって、 長い寒い冬はどうするの。 寒さにふるえて、軽くなった古外套で夜通し乗る車掌さんも気の毒なら、 雨や雪の中を道床修理の工夫さんが思いやられる。 雨合羽あまがっぱは雨には駄目です。 雪の日なら水が滲みなくて好いが。 でもお役人の鼻先には大きなストーブが石炭を食って真赤に燃えておろう。 考えてみると泣けない。 (10・24)

〔大正10年10月28日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕

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