自然と人生と宗教 (上)

三宅島の一角より

鵜飼桂六

この一篇を知己に寄す

ここは渺茫びょうぼうたる太平洋上の真唯中まっただなかにして、東京を南にへだたることおよそ百海里、黒潮の荒きに面する伊豆七島の一つである。 周囲約八里、縦の長さ二里半、横の幅三里ほどにて、地形はだいだいを浮かばせたるにも似ている。 風は潮とともに吹きしきり、雨は車軸のごとくに降れども、気候は夏なお85度を上らず、冬また50度を下らずして、年中雪を見ることなく、霜を見ることすらもない。 しかも空気は千里の波濤はとうを洗って多分にオゾンを含めば、その清涼なること言うばかりなく、心身は常に爽快を覚えて、晴朗の日には思わず微笑を禁じ得ないくらいである。

人情は概して敦厚とんこうで、風俗には太古の面影がのこり、その生活は半原始的である。 主業は漁猟と牧畜と農事とであるが、稀には商売を営んでいるものもある。 ここではすべて男子よりも婦人の方がく働き、体躯たいくも頑丈で、背も高く、殊に力も優れて、一俵の米などをやすやすと頭へ乗せて自由に歩行したり、一斗以上も這入はいる水桶を同じ姿で運んで行く様子は、到底内地では見られない図である。

食糧は余り豊富ではないが、それでも甘藷かんしょや牛乳や魚介等はかなり多量にあって、もし五千人の島人があまねくこれに足ることを知るならば、内地より何一つ供給を仰ぐことなきも立派に生活し得る状態に置かれている。 米も少しは出来るが、主食物は甘藷で、育ちもよく、味も頗るよい。 ただ困るのは、水の著しく乏しいことである。 元来が富士火山脈の系統に属するために、不断に地中が乾燥していて、井戸を掘鑿くっさくしても一向に水が湧き出て来ない。 そこで雨水を大切に貯蔵しておいては、これを水汲女に運ばせて、要を弁じている。 いかにも不便ではあるが、井戸が無ければ雨水があり、米が足らなければ甘藷が十分であると言うように、自然は瞬時も人間の生活を縮め、脅やかさんとするがごときことを敢てしない。

その他もちろん汽車、電車、自動車、自転車等のあろうはずなく、馬車、荷車さえなくして、電気、ガス等の何物であるかを知らないほどの純朴の民が多く住んでいる。 そしてなおここには今ひとつの奇異なことがある。 それは、かつては囚人の流されし所なるを以て有名なるにもかかわらず、全く島中のいかなる部分にもわずかに一匹の蛇だにも居ないことである。 こは恐らく土壌の性質にもよるであろうが、而も他の六島にはことごとくみな棲息している由であるから、いずれは意味深い伝説の潜んでいることと思う。 魚はあじかつお、飛魚等のごとき精気潑剌はつらつたるものが捕れ、植物は蘇鉄そてつ、龍舌蘭、麻仁剌まにら等のごとき熱帯性のものが多く繁茂している。 また放牛の到る所に寝そべって、乳しぼりのここかしこに散見するのも一特色である。

〔大正10年10月30日 『新愛知』 「緩急車」欄〕

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