マルクスからラスキンへ (上)

高澤乙彦

幼稚な現今の経済学の立場から論議する物的文化生活論は、心物両面を有している真の文化生活論に入る必要な第一思想に過ぎないこと。そのことは、おそろしくパンの窮乏を告げている今日の社会の一部の先覚者達にさえ既に認められて居るのであって、「人間はパンのみで生くるものではない」とともに、改造の原理が高く唱和された。そのときの経済学――マルクスやリカードやクロポトキンから、さらに推移の軌道をせた社会生活の内面的潮流は、今や再び急激な潜勢力となってラスキンやカーライルなどから求める唯心的文化生活の道程に新しく突き入らんとしつつあるのである。大正十一年の初頭において、幾年間かの過去を振り返ってるとき、心的文化生活のほねであるべき正義人道の実は醜くも踏みにじられて、文化主義の哲理を誇学こがく的に宣伝したり、或る実生活における食、衣、住、社交等を改善したくらいで文化生活の真諦しんたいを呼び迎えることができると想像しているような唖流ありゅうの徒の如何に多く蠢動しゅんどうして居るかを、まざまざと見せつけられるのである。

私達はスマートの、 「生活の根本問題は経済生活の改造ではなく、その動機の改造である」 という社会改造の原理について、それの「第二の思想」として今、考うべきときではないか。前人の思索、行為の跫跡あしあとを点検するのではなくて、新しい時代の青年として、千九百二十二年以後の社会に最も若い人間として生きる世界人アンノンムリーブルとして。

しかし私は甘きねむりをむさぼる者を眼覚めざますために警鐘を打ち鳴らす役割の予言者ではない。私達はあらゆる現在のものに不満だ。政治にも社会制度にも文学にも美術にも。社会の改造を口にしている今の社会主義運動にもまた、不満と飽き足らない焦燥とがあるのだが、今日の私達を一番濃く端的に脅威しているものをまず究明しておく必要があるとすれば、それは実に戦争と平和と、と無との対立した撞着どうちゃく反撥はんぱつ、それの生み出す争闘の世界ではあるまいか。変遷へんせん姿相しそう縷々るるとして繰り返す民族主義のその精神の中に燃える国家意識の根強さは、マクベスの手に付いている血のごとくに、洗っても洗っても手上に残っている彼の痛ましい因果ででもあるごとく、私達の眼にうつる。私達は一切のプレジュヂスから分離して、心静かに真実を正視しなければならぬ。この真実の上に私達は動かざる主張と剴切がいせつなる道徳的意識のあかしを打ちてなければならぬことは勿論のことである。

主人と奴隷との社会。利己的約束の社会。人格的結合の社会。この三つを倫理的に解剖すると、主人と奴隷との社会は一人もしくは一団の強者が周囲の人間を征服することによって成立する社会のいいであって、それは或る人々から見れば国家というものの本体であろうが、その国家の中に含まれて生存する種々の経済的利己主義を立脚とした強者と弱者との対立がすなわち利己的約束の社会と見て差しつかえがない。これに対する人格的結合の社会といえば、まずその本質上、教会や学校などに該当するものである――「社会生活の内面的根拠」において阿部次郎はこう云っている。

社会改造の要求と人類愛の高唱とが共に相提携あいていけいし得なかった結果は、社会改造の要求をそれの攻撃の第一矢として、労働者階級の自主的人格を認めない資本主義に向けた――労働者の人格的尊重を認めて新文化創造の一原動力たらしめんがために。階級闘争を因襲的弊習のために曲解した結果、それの激昂を挑発し、不当の争闘心を誘導したところの、いわゆる資本家根性の発顕はっけんは、いたるところにおいて、「階級闘争は社会改造運動の積極的一目標としてこそ其の誤りなるを責むれ。このかんの事情からして発生せる不得已やむをえざる一現象としては、吾々もまた大いにこれを諒としなければならぬ」という「世界のなげき」は、新時代の私達青年にとって如何なることを教えつつあるか。

社会組織の根柢こんていに手を触れることなくして時弊じへいを救い得べしとする社会改良論と民族的国家的伝統の絶対価値の提唱とが、軌を同じうして、社会改造の要求に対し、普遍的同類意識すなわち人類愛の高唱に対して、主張された。それの結果、多くの民衆を安全地帯に導くものであるごとく民衆それ自身が考えている――それのことに我が国においてその多きを見るのである。

しかしながら思想は動きつつある。時代は絶え間なく進展してまない。国民教育費国庫支弁論に関連して、わずかに軍事費二割ないし三割減を主張するにさえ遠慮しなければならなかった昨年の春と、大正十一年の初頭とにも、既に大なる思想の懸隔けんかくが見出されるではないか。

そうだ、私達には、マルクスやリカードやクロポトキンから、さらに推移の軌道を馳せる社会生活の内面的潮流にさおさして、ラスキンやカーライルやトルストイやドストエフスキーなどに求める唯心的文化生活の道程に新しく社会改造の必要と人類愛の高唱をひっさげて進もうではないか。

〔大正11年1月23日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕

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