行乞生活

金子白夢

私はこの頃行乞ぎょうこつがしてみたくなった。桃水和尚の跡を踏んでみたくなった。フランシスの流れを汲んでみたくなった。真の宗教生活が行乞生活の中に見出されるのではなかろうかと思うようになってきた。オスカー・ワイルドが『社会主義の下に於ける人間の霊魂』の中に「基督キリストは社会を改造しようとは試みなかった。従って彼の教えた個人主義は苦痛と孤独とにってのみ実現され得るものであった。彼は驚異すべき霊魂を持った乞食である。彼は神聖な魂を持った癩病らいびょう患者である。財産と健康とは彼に必要がない。彼は苦痛を通して自己の完成を実現する神である」と説いている。私から云わせると彼は乞食生活をしたから一切の財産と一切の健康とを持つことができたのだと思う。

真の宗教者の態度は一切無の自由境において一切の体験に入るのである。指月が「如来及び一切の賢聖けんじょう逓代ていだいともに異趣なく行じ来る法あり、曰く行乞なり」と云っている。行乞の生活が一切無の体験境に直入した生活でなくては如来および一切の賢聖が何れの時代に於ても行じ来る法という訳には行かない。この境地に入ればこそ「座ながらにして人天の供養をくる」に堪えるのである。

私共の日常生活が財産に執着し健康に心配し一歩もその埒外に超脱することができないからこそ、真の意味において何一つ所有することもできないし、真の健康を保持することもできないのである。昔、基督のもとに巨万の富を持った青年がやって来て、宗教的生命を体験せんがためには何を為すべきかと質問した。この青年は国家の法律を破ったことは勿論、宗教的戒律を破ったこともない普通道徳の実行者、善良なる市民であった。彼は全く普通人として尊敬に価する良民であった。然るに基督はこれに対して「なんぢまったからんと思はばきて汝の所有を売りて貧しき者にほどこせ。さらば財宝たからを天に得ん。つ来りて我に従へ」と答えた。ワイルドがこの基督の精神を現代語に訳して曰く、

「あなたは私有財産をお捨てなさい。それはあなたの完全を実現することからあなたを妨げます。あなたの邪魔物です。荷物です。あなたの人生はそれを必要としません。あなたが本当に如何なる人であるか、また本当に何を要求しているかということのわかるは、あなたの外にではなく、あなたの内においてです」

このワイルドの解釈は人間生命の内部完成は財産という邪魔物や重荷によりて妨げられるから、これら一切の執着を抛擲ほうてきし去って赤裸々の境地に入って「人そのもの」の本来の光明を発揮せよというのである。「外物などに何の必要があろうぞ?人間はそれ自身において完全である」というこのワイルドの見識は「無上むじょう菩提ぼだいすべからく言下に自の本心を悟り、自の本性を見、不生不滅なることを得べし」という一真一切真、万境ばんきょう自ら如々にょにょという禅者の心地をほのかに見せているように思われる。私の謂う所の行乞生活の本地の風光はこの如々の心境を体得して無一物の姿を堂々として我自らのうちに現わし来るところにある。

永嘉の謂う所の「常に独り行き常に独りす。達者同じく遊ぶ涅槃の路。調しらしん清うしてふう自ら高し。かたちかじけ骨かたうして人顧みず。ぐう釈子しゃくし口に貧と称す。実に是れ身貧にして道貧ならず」という生死悠々たる境地を味ったものでなくては到底この辺の消息を解することは不可能である。ここ一切の憍慢きょうまん放逸ほういつの心を離れ、謙虚、卑下、柔和、温順の徳自ら流れ、花の自ら咲くように、樹の自ら生いたつ様に、自然に単純に自然に素朴に自然に偉大に自然に成長するのである。そこには一切の叡智が夕の星の様に照っている。そこには一切の情緒が園の花のように匂うている。そこには一切の意志が深い淵のように沈黙している。それは一切を所有している。而かも何物をもたないのである。ただそこには我が「我自ら」である。我自らが一切である。何物の干渉も受けない。他の何物をも干渉しない。自然霊然の境である。自ら照る!ここに一切を光被こうひする力がある。我「自ら」である。そこに一切を受け入れる胸が開いている。流れている世界である。照らされている世界である。匂うている世界である。「生命」がそのままに何らの障碍しょうがいもなく呼吸している世界である。金風きんぷう体露たいろの世界である。

指月この行乞生活を讃嘆して「平等無受無欲、法々ほうほう混合して四大しだい五蘊ごうんの去来不去来、執受しゅうじゅ非執受、畢竟ひっきょう無所得の地」と云っている。然り、ここ真に無所得の地である。身心内外のくう無相むそう無作むさを成じ得たる境である。寂滅にして不着ふじゃく不諍ふじょうの理を現身そのままに描き出したる具体相である。「三日もすれば忘られぬ」この乞食の生活のみぞ真の宗教生活の天地である。一切無の否定者が一切有の肯定境に蘇生し来る境界は始めて行乞の生活において見出し得べきであろう。

大正11年1月京文社刊 『体験の宗教』 286〜290頁〕

目次へ戻る