ひとりごと (1) 愚痴と愚禿

小林橘川

ひとりごとをってみたくなった。「ひとりごと」は畢竟ひっきょう、弱いものの「愚痴ぐち」にすぎぬかもしれぬ。としをとると、とかく人間はぐちになる。わたしももう四十一になる。孔子さんは四十にしてまどわずといったが、わたしは今もまいにち惑いぬいている。いつになったら惑わぬようになるか、いまのところはてんで見当がつかぬ。こうして惑うている間はぐちがつづく。わたしはぐちの生活の中に没頭している。ひとりごとは畢竟、わたしの愚痴の生活史である。

わたしの宗祖しゅうそ法然上人は「愚痴に還れ」と教えてくれた。「還愚痴」は法然の宗教的熱情の最高頂点地である。わたしは法然のごとく愚痴に徹底したい。しかし法然ほどの愚痴になりきれぬところに、わたしの惑いがある。一切をなげうちたい、一切をすてて愚痴になりたい、わたしのもっている小さな理智や学問や分別をなげうってしまいたい、そう思いながら、まだ過去の微弱な理智と分別とをすてきれないでいる。

親鸞はみずからを愚禿親鸞とよんだ。親鸞が自分を愚禿とよんだのは、もう相当としをとってのちのことであろう。親鸞は無名の一青年僧侶で、革命の気を負うて北越地方にその伝道を始めたころは、決して自分を愚禿ぐとくなどとは云わなかったであろう。彼が愚禿を称するようになったのは、思想も円熟し、修養の爛熟したる以後の事であろう。親鸞がはげあたまであったかどうかは分らないが、自ら愚禿といったところをみると、多分禿げていたのであろう。そのはげ方が愚人のようであったのであろう。その実それは賢い禿げ方であったのであろうが、親鸞は実際、自分を愚禿と信じていた。人間もあたまの禿げそめる頃にならぬと、味わいのある人生は分らぬ。どうやら、わたしにもぼつぼつ禿げの時代が近づいてきたようである。わたしの禿げ方こそ、ほんとうの愚禿であるのだが、小りこうにも賢禿ぶりたい野心がある。こまったものだとなげいている。

法然の「愚痴にかえれ」といった言葉も、親鸞のみずからを「愚禿」とよんだことも、おそらく同じ意味合いであろう。当代の人間はみんな利口ぶることを知って、自分の馬鹿なことを知らない。利口ぶる人間ほど、その馬鹿さがありありと見える。それをみんな知らないのだ。利口といっても、大ていたかが知れている。それがどうしたというのだ。そう思うと人間というものがまことに浅ましい、哀れなものになる。

法然は四十三歳の春、過去の一切の生活をすてて愚痴の生活に入った。親鸞はあたまの禿げかかる頃に、愚痴の生活を体験した。早熟な熱帯国の釈迦は三十五歳で成道した。孔子は四十にしてまどわずといったが、真に天命を知ったのは五十である。医者と坊主はひねたのがよいというが、人生も頭が禿げるか、白髪頭の時代にでもならなければ味読することができぬものと見える。

若いものはそれを「老人の愚痴」と云いけなしてしまうであろう。また実際それは老人の愚痴に過ぎないのが多い。若いものはその若さに生きればよい。老人はその愚痴に生きればよいのだ。老人が若いものを気取ったり、若いものが愚痴を気どったりするのは醜いものである。

〔大正11年4月26日 『名古屋新聞』 2面論説〕

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