五月の野に立ちて (1)

荒谷宗治

自然が一年のうちに一番うつくしい季節として、私は五月の郊外をよろこぶ。

桜は散り、桃は青葉に成っても、丈高き松の梢にからむ藤の花房のおぼろに霞むうつくしさ、血のごときくれないに燃ゆる岩躑躅いわつつじの花を見る時、わたしはいつも木曽川の曽遊そゆうを思い出す。桜、楓等の若葉茂りに茂りて、翠緑すいりょくしたたるごとき白帝城下に舟をうかべ、清澄せいちょう一碧いっぺき、水底の砂礫も数えらるるような清流をさかのぼりて日本ラインの勝景に入れば、山峡いよいよ迫りて翠色こまやかに碧潭へきたんに映じ、矢を射るごとき湍江たんこうの清流エメラルドを溶かせるごとく青し。

このあたり、の岩躑躅の花多く満目 まんもくの緑樹と奇巌きがんの間に点綴てんていして真紅しんくの炎を吐く、山かすかに水清く、塵煙じんえん遠く絶せるところ、自然はなお太古淳真じゅんしん風姿ふうしを存して、紅緑色彩の精美せいび赭巌しゃがん碧流へきりゅうの奇観、さながら太初創造の時の世界を思わしむるものがある。私はこの時より五月野の早緑さみどりとともに、岩つつじの火のごときくれないを忘れ得ない。

さわやかな五月の空気を胸深く呼吸しながら、萌えいづる木々の若葉と野の草を見よ。満天満地ただ一面の緑に包まれながら、その一木一草、その葉の一つ一つも悉々ことごとくその色と形を異にしている。柿の若葉は黄を帯びて燃ゆるがごとく輝き、楓の新緑は濃やかにして滴るがごとく、公孫樹いちょうの巨木の若葉茂りて中空にそそり立てるは暗緑あんりょくの色鬱然としてあたかも年わかき英雄の深き沈黙を守りて一世を睥睨へいげいせる雄姿を思わせる。さらにこれらの喬木きょうぼくの陰より、弱々しくも日の光りを追い求め、明るさを恋慕うて、延び上り、まわりて萌え出づる名もなき小草おぐさのいじらしき姿を見よ。いつの世にもしいたげられ、踏みにじられながらも、わずかに残されたる日の光り、土の惠みに養われて、絶ち難き生の執着に生くる民衆の痛々しさにも似るではないか。

にも茂りてはまた刈られ、刈られては牧場に投入らるる野の草にも似たる民衆よ。額に汗を流し、土を耕して生くるべく定められたる彼らの運命は、永遠の世に果して何を語るものであろうか。西紀元前六千年の昔、メソポタミヤの沃野よくやに始めて農耕の生活をはじめてより、悠々八千年の長き歳月は彼らに何を与えたか。バベルの塔は徒らに築かれてまた壊れ、ソロモン朝の栄華は空しく一場の夢物語りと化し去ろうとも、そのために流されたる彼らの限りなき汗と、痛ましくも埋められたる彼らの枯骨ここつとは、永遠にむくいられざる運命の重荷を負うて、果しなき悩みの道を歩みつづけているのではないか。アテネ、ローマの春に人類文化のはな咲きめて、世界は燦然たる物質文明の美酒に陶酔する時も、太古ナイル河畔の夕日にいしくも輝きし重きくわは、かつて彼らの手より放たれず、いまは渾円球こんえんきゅう上、日の光り照るところ、土あり水流れて青草の芽生めぐむところ、影の形に添うごとく、太きその手に握られて、くろき土を耕さぬ日もないではないか。二千年の昔、ベツレヘムの野に生れたる神の子イエスが彼らのために捧げし尊とき愛の犠牲さえも、いつしか巨大なる地上の悪魔の手に奪い去られて、羅馬ローマ法王庁の太柱いたずらに彼らの背に負う十字架の重みを加えたに過ぎぬ。くらき彼らの運命の闇に、尽くるなき太陽のあたたかき光を迎えて、ほろびなき生命の栄に萌え出る時はいつ来るのであろうか。

今の世、「民衆の時代きたる」という新しき福音は世界の津々浦々にうしおのごとく湧き、人類愛の熱血に燃ゆる革命の子らは雄々しくも競い起ちて、永き因習の束縛と、重き権力の鉄鎖より民衆を解放すべく、勇ましき反抗の叫びを挙げている。

革命もよし。人の世いつか革命なからん。新しき文化の花はいつも革命の子らが流せる赤き血潮のにじみて、いしくも黒ずめる土より咲き出づるのである。より高き文化が必然に、人生によりき何ものかをもたらすものであるならば、革命は人類進化の途上に避け得ざる必然の一事実として、私もまたその犠牲として捧げらるべきおのれを敢て否みはしないであろう。されどいう、五月の野に立ちて、緑波うつ麦畑の中に神の世をさながらに重き鍬振りあぐる農夫の姿を見ては、私の心はまたあらたなる迷なきを得ない。

〔大正11年5月12日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕

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