狂人の家

本多あきら

買物に行った帰り道に、人がたかっていたから一寸中をのぞいたら、いざりが小さい子供を側において人々に憐れを乞うていた。人々の中の一人は、「あの子は借りてきた子供でにせ者だよ」といっていた。私はいきなり人々をおしわけて中へはいって手にもっていた蟇口をさかさにして中にあった少しのお金をすっかり乞食の袋の中にあけた。乞食は驚いて見あげていた。人々は一層おどろいた。すぐ乞食は両手を地についた。私はたまらなくなって逃げ出した。麦畑の中を歩きながら考えた。

「いかに前業の所感とはいえ、あんまりこの世は不公平です。誰も斉しく悪人なる世に、業の報いがあれほど目に見えた差別を生ずるのでしょうか、ああ仏様!」

涙ぐんだ私は、涙がかわくとすぐ、自分を責め始めた。

「自分は乞食に何をしたか?自分はあのあわれな同胞に大なる侮辱を与えた。涙を流して地に額づくことは、並大抵の事ではないのだ。どんな信心深い人でも、かつてあれ位の態度で仏に感謝したことがあろうか。自分はつまらない金銭をもって、乞食に最も尊い方の受けるに相応しいような感謝の表示を強いた。よし乞食はそれを侮辱と感じなくても、自分は自分を責めなければならない。自己を偽らないなら金をやるのもいい。だが、乞食に侮辱を与えるような与え方は断じていけない。自分は乞食に知られないようにこっそり彼の袋の中へお金をいれてやるべきだった。そうすれば、乞食の感謝の心は仏様の方へ向うだろう。

「乞食だって変ることなき同胞だ。同じく悪人なる自分が、一段高いところに立っているように感じた。今の自分のやり方は明かに非難すべきであった。」

〔大正11年6月23日 『名古屋新聞』 4面連載〕

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