理智を超えて――大愚への道!

金子白夢

橘川きっせん君、君は「理智を棄てよ」と云い、成瀬君は「理智をそのままに」と云う。理智を棄てよと云う君も理智を棄て切らずに議論をしているではないか。理智をそのままにと云う成瀬君も理智をそのままにという概念にとどこおっているではないか。勿論、理智を棄てよということを時代論――科学時代の――として、ないしは対機たいき――或る人々に対して――としてなら、僕もそうした態度に共鳴を見出すこともきる。しかし「棄てよ」と云われたからとて棄てられるような理智が宗教生活に対して何等の障碍しょうがいになり得るのだろう。僕は思う、科学者が科学を研究しているままで何も宗教生活に入るに少しも差し支えないと思うその点においては、僕はむしろ成瀬君と共に理智をそのままにして生活して行くべきだと思う。橘川君、君の云うところは科学万能論者に対して理智を棄てよと云うのだろう。しかし君、そうした論者は理智を棄てたところで宗教に来るべきものでもないし、また理智を棄てたからとて直ちにそれが宗教生活に入り得る端緒を開くものでもないのだ。宗教は宗教、科学は科学じゃないか。両者は物の見方、生活の態度が根本から違った道を辿たどっているではないか。一方をやめたからとて、一方に行き得ると思うが間違いではあるまいか。橘川君、君にしたところで、僕にしたところで、科学的智識の或るものを持って居ったからとて、それがために我々の宗教生活が何等のさまたげを受け得ると君は信ずるか。僕はむしろ僕のっている多少の科学思想が宗教生活に豊かさをこそ与えてくれることはあっても、それがために僕の宗教生活のさわりとなったことはない。その点においては理智をそのままにといったような態度こそ我々の取るべき態度ではなかろうか。

しかし成瀬君、君の所謂いわゆる理智をそのままにと云うところに宗教があるかネ。僕はそう思わない。なるほど理智は我々の宗教生活に何らのさまたげをしないからとて、その理智の世界にそのままとぐらをかいて居るべきでしょうか。僕はそうしたところに宗教があるとも思わない。僕はむしろ橘川君のあのあこがれの態度のなかにこそ純真な敬虔味が目覚めていることに共鳴せずにはいられない。成瀬君、君にだって憧れそのものが宗教生活に何らの光を与えないと云うのではあるまい。君は単なる憧れの感傷的デカダンのともがらに対して一本まいらせたに過ぎないのだろう。それでなければ善男善女の空虚な憧れを価値ないものと見たのに過ぎないだろう。そうした意味なら何も憧れを非難する理由は少しもないじゃないか。本来、宗教生活は憧れの生活でなくて何だろう。僕は我々の魂の辿たどりの中に憧れ気分の恵まれたことを限りなく感謝している。口を開けば概念云々うんぬんと云って概念をけなしている者があるが、僕から見るとそうした者は概念を排斥するという概念の世界に囚われているのではあるまいかと思う。僕は活きた概念――もしそうした言葉が許されたならば――はそのままそれがやはり宗教に入り得る門戸だと思う。「概念」という概念も理解せずに徒らに概念を排するものを僕は取らない。

憧れそのものが宗教の中に生きて流れている生命の流れ――したわしさの流れではあるが、そうした流れは何も理知を棄てねば純真なものになり得ないというはずはなかろうと思う。僕は橘川君の云うように「理知を棄てよ」とも云わない。成瀬君のように「理知をそのままに」と云っただけでも満足ができない。僕の立場をもしそうしたような言葉で現し得るとすれば、僕はこう云いたい、「理知を超えて」――そうだ、理知を超えて行くところにのみ宗教の世界があるのだ。単なる理知では駄目だ。科学も哲学も理知の世界だ。しかし僕には科学が科学のままで、哲学が哲学のままでは宗教ではない。さればとて科学も哲学も棄てるには及ばない。勿論科学や哲学が宗教だと云っているともがらに僕は共鳴しない。科学を超え、哲学を超えて、然り一切の理知の境を超えて、純真な大愚たいぐに帰るところにのみ、絶対の光が輝いてくるだろう。親鸞が「愚禿釈の親鸞」と云ったあの境地は非常に尊いものだが、さればとて親鸞は華厳や天台の教えを全く棄てたのではない。そうしたものが彼のなかに融けて流れて人格に一つになって、そうした教学が毫も彼の宗教生活に障りとならなかったのである。すなわち彼は理知を超えてあの境に入ったのである。理知を棄てたのではない。理知に徹したのである。理知をそのままにして居ったのではない。理知を超えたのである。聖パウロの生活がちょうどそれだ。彼は当時の大学者であったにもかかわらず、彼はその学問を棄てたのではなくして、それをったままその学問を学問として誇ったのではなかった。彼はキリストの前にひざまづいてその学問を全く神の前に捧げた。而して「神の愚かさ」に帰った。親鸞のごとき、パウロのごときにして始めて理知に対する態度が真に生きているではないか。僕は橘川君の「理知を棄てよ」のあの言葉の裏に流れている君の敬虔な態度には限りなく敬意を払う。と同時に理知に対してああした態度が僕には取り得ないことを告白する。また「理知をそのままに」と云う成瀬君の態度にも――然り、君の衷心の叫びには感応するところがないではない。しかし僕はああした言葉の世界に滞っているわけにはゆかない。

橘川君によって火を点ぜられ、成瀬君によって油を注がれたために僕はこの稿を書く気になったことを両君に対して多謝する。筆、意を尽さず、両君によって教えらるるところあらば僕の幸いとするところである。(成瀬君の文を読み了りて)

〔大正11年7月6日 『名古屋新聞』 4面 「文藝欄」〕

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