労働階級は何を作るか (上)

葉山民平

労働は苦痛である。 労働は現在においてちっとも神聖ではない。 われらはむを得ず労働しているのである。 われらの労働は人類を養っているが、 資本主義をも一緒に養っている。 そして資本は、 われらがせるのに反比例して肥えてゆく。 肥えた資本主義はますます我らの上に、 その段々重くなる体を背負わす。 労働者はますますせてしまう。

我々が労働組合によって、 資本階級に対して階級戦を宣告しない限り、 我々は不正不当なる資本主義を幇助ほうじょし、 その強大をこいねがうということになり、 ひいては、 我々は自分自身の自殺を喜んでいる、 という結論に到達する。

我々が労働組合を作るのは、 資本主義の責道具のうちにあって、 足の痛みの代りに手を当てようというのではない。 完全に資本主義の拷問の機械である重い太い鉄鎖から解放されて、 一個の人間として生きるがためである。

我らが資本主義を肯定するならば、 奴隷が、 その主人である役人から僧侶へ売られたと同じことにしかならない。 奴隷はやはり奴隷である。 我らが奴隷でありたくないためには、 奴隷制を否定しなければならない。 我らが賃銀奴隷でなくなるためには、 資本主義が否定さるべきである。

労働組合の目的が資本主義の否定にあるは、 云うだけ野暮である。 もし労働組合であり、 あるいは労働組合員であって、 資本主義を否定しないものがあるならば、 それは資本主義の犬である。

われらはレニンがきである。 「万人がパンを得るまでは誰も菓子を持ってはならぬ」 と云ったレニンの偉大さに敬服せざるを得ないのである。 たとえ何十年前に死んだマルクスであろうとも、 千里も離れて別の世界に住んでいるレニンであろうとも、 われらには日本に住んで声をらしている僧侶や牧師たちよりは緊密な親しい師であり、 友である。

宗教についても、 基督キリストや釈迦の偉大な思想を散々さんざんに踏みつけて自分の生活の資にしている宗教家どもよりも、 未完成なる民衆の作る神が、我々のものだ。 私はゴールキーの驚嘆すべき言葉を引いて見よう——

「神様をこしらえる人たちってのは誰のことだね。 そしてお前さんの心待ちにしている主人というのは誰なんだね」 と、 若者が得体えたいの知れない巡礼にいた。

「神様を拵える人たちというのはね、 誰も数えつくすことができないような普通の群衆なんだよ。 クリストがおほめになった人たちよりも、 もっともっと偉大な、 神聖な殉教者たちだ。 それが奇蹟きせきをやり出す神様なのだ。 わしは民衆の精神を信ずるんだ。 それは不滅の民衆で、その力の偉大なことをわしは認めている。 それは生活の唯一の源であって、 疑うことを許さないのだ。 神様の唯一の父だ。 これまでもそうであったが、 なおまた将来とてもそうなのだ」

「ひょっとしたら、 お前さんは百姓どものことを言ってるんじゃないかね」

巡礼は声高に、そして威厳のある口調で答えた——

「わしはこの世界の労働者の階級のことを言ったのだ。 彼らの団結した力を言ったのだ。 それは神化するところのただ一つの、そしてまた永久の源なんだ。 まあ考えてみるがいい。 民衆の意志がどんなに目覚めているか。 これまでバラバラに離されていた、人間の大きな団体が、 今どんなに結び合いつつあるか。 多くの人々は今にも、 この地上の一切の力を一つに溶かし込み、 そしてそれで神様を、 この宇宙を抱擁するところの、 素敵なそして美しい神様を拵える手段を探しているのだ」

若者は憤慨した。 このしらみを養って百姓靴をはいた神様製造人は、 いつも飲んだくれて、 そして殴られたり打たれたりしていた。

「もう黙れ! お前は神様を冒涜ぼうとくするごろつき爺だ。 何が無上の民衆なんだい。 奴らは根性も体も汚れているんだ。 外から見ても内から見ても乞食だい。 一コペックで身を売ろうとしていやがるんだ」

その時、妙なことが持ち上った。 彼は飛び上って呶鳴どなった——

「へたばっちまえ! こん畜生! くたばっちまえ、この穀倉のねずみ野郎! お前の血管には悪臭を放つ豪族の血が流れているのは、 ちゃんと分るんだ。 お前は民衆と何の関係もない捨子だ。 お前は横着ななまけ者で、土地泥棒だ。 この疥癬ひせんかきの野良犬め! お前は誰に向って吠えているんだか、自分自身にも分るまい。 お前は人のものをかすめ取ったんだ。 ふんだくったんだ」

無数の民衆。 社会のあらゆる利便の下積みになっているところの無産階級。 地位も名誉も学問も、 何もかも一切を資本階級のために奪われている労働階級。 これらの者は今や一つに結び合って、 新しい社会、 人類が初めて創造するところの人間的社会を、黙々として建設しているのだ。

ゴールキーの生れたロシアでは、 その新しい社会が、 その国特有の極光のごとくに、 段々と光を増して来つつあるのだ。

〔大正11年10月27日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕

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