田中王堂氏の哲学
学者は真理を創造するのではなくて発見するのである。
真理を創造する者は学者ではなくて民衆である。
例えば文藝復興時代には一般の人心が旧来の天動説に疑いをさし挟んできた。
その結果がコペルニクスやガリレオの地動説発見となったのである。
学者は民衆の言わんとするところを代って言うに過ぎない。
氏は書斎よりも街頭の哲学者たらんとする。 「吾人のために吾人の生活が唯一の実在である」 というのが氏の哲学の出発点である。 その種々の欠陥の有無にかかわらず、 実際生活上の要求や問題に対して他の哲学よりも活きた或る力を持っている。
氏はドイツ流の論理主義やフランスの直観主義よりも、 イギリスやアメリカの経験主義、実際主義に傾いているが、 しかしこれらのいずれをも祖述せずして、 我国独自の国民哲学を建設せんとしている。 これ民族の生活を尊重する当然の結果であろう。
氏は最近にも文化主義に辛辣な批評を下した(『中央公論』参照)。
ここにはこれを紹介批評する余地が無いが、
とにかく価値の哲学では直接に活きた現実を把握し得ぬ。
これ価値と事実との区別は単に概念でのことに属し、
活きた現実では両者が不可分的に渾然と統一せられているからである。
この欠陥を補うには直観や体験の哲学が必要であって、
これは西洋人よりも
故人岩野
〔大正11年11月11日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕