孤独の霊魂

鵜飼桂六

父死す。 は完全に孤独となれり。 余には父なく、母なく、妻なく、子なく、兄弟姉妹なし。 今や人生の春半ばになんなんとしてすべての血族を失いぬ。 悲しみ極まりて血を吐くの苦しみあり。 およそ人の世に、 父ぞと呼ぶべき人なく、母ぞと呼ぶべき人なく、妻ぞと呼ぶべき人なく、子ぞと呼ぶべき人なく、兄弟姉妹ぞと呼ぶべき人なきほど、 しかく悲痛なることはあらざらん。 如何なればこそ余はくも不幸に生れたる、 だ天に向いて嗟嘆さたんの声を発するのみ。

聞く、昔、仏者は 「生者しょうじゃ必滅ひつめつ会者えしゃ定離じょうり」 と説き、 孔子は 「生は寄なり、死は帰なり」 と教えしとぞ。 されど父の墓標新しくして、 冷たき白骨の影を見るとき、 死に行く如き心地するなり。 想い起す、父の言を。 父は語りぬ——「霊魂は肉体と共に生じ、肉体は霊魂と共に滅ぶ」 と。 しかして父の霊は滅び、 父の肉は朽ちたり。 嗚呼ああ、 何ぞの語の簡明にして直截ちょくせつなるや。 余、不敏といえども、 しばらくこれを真理として、 其の卓見を賞せんとす。

余は信ず、の世には始めよりくうもなく、不空ふくうもなく、また無もなく、実在もなし、と。 一日、父にこれを語りしとき、莞爾かんじとして微笑しぬ。 しかもそは永眠に先だつわずかに数時間前に属す。 恐らくは、余の言によりて瞑目せるなるべし。

かつて父えり、 「予は死後厚く葬られんことを望まず。 火葬とするも、土葬とするも、帰すべきところは、依然として灰土のみ。 弔うことを要せず、祭ることを要せず。 万有は虚無なり、宇宙は神秘なり。 唯だ汝は汝の身を愛せよ」 と。 父恩の感謝すべき、 死後までも余の身を想い給えり。 而して今や其の父なし。 霜露そうろ降り、 木葉脱してとみ落寞らくばく荒涼こうりょうを加うるのとき、 父のに遭う。 うたた無量の感慨を禁じ得ず。 嗚呼、誰かこの淋しき心を知らんや。 土よ、余もた汝に帰する日を待たんかな

〔大正11年11月21日 『名古屋新聞』 4面〕

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