「マルキシアン社会主義」論争
大正9年9月〜10年2月『新愛知』
- 瀧本誠一 「海保青陵とその学説」9年9月12〜14日『新愛知』3面
- 鵜飼桂六 「青陵先生と瀧本博士」9年9月17〜19日『新愛知』「緩急車」
- 瀧本誠一 「鵜飼桂六氏に答う」9年9月26〜29日『新愛知』「緩急車」
- 鵜飼桂六 「瀧本博士に答う」9年10月11〜19日『新愛知』「緩急車」
- 伊藤五城 「社会主義と科学」9年10月20・21日『新愛知』「緩急車」
- 瀧本誠一 「学説としてのマルキシアン社会主義」9年11月25日〜10年1月6日『新愛知』
- 水野昌蔵 「瀧本法学博士のマルキシアン社会主義論を駁す」9年12月14〜17日『新愛知』「緩急車」
- 鵜飼桂六 「瀧本博士の自家撞着論を駁撃す」9年12月18〜24日『新愛知』「緩急車」
- 水野昌蔵 「鵜飼桂六君に呈す」9年12月27・28日『新愛知』「緩急車」
- 鵜飼桂六 「水野昌蔵君に答う」10年1月20・21日『新愛知』「緩急車」
- 水野昌蔵 「瀧本博士のマルキシアン社会主義論再駁」10年1月23日〜2月3日『新愛知』「緩急車」
- 鵜飼桂六 「瀧本博士のマルキシアン社会主義論再駁」10年2月4〜17日『新愛知』「緩急車」
- 悠々生 「マルキシアン社会主義論打切」10年2月18・19日『新愛知』「緩急車」
伊串 桐生という人はね、新聞のレベルをもっと高め、そうして民衆のなかの知識層といった方面の向上を自分の仕事としていた。ですからね、投稿には「資本論」の問題で何回も論じあったことさえありましたよ。
稲垣 大正期に民間の知識人が「資本論」を論ずるということは、 地方であるだけにめずらしいと思います。 「資本論」のどういう点が問題になったのですか。
伊串 片方はコーヒー屋の経営者、一方は真宗の坊主あがりの頭のいい人でした。 「資本論」を読んだ二人で、自分はこう解釈するといえば、 一方は、読み方が違っているといってね。とにかく「資本論」の問題で論じているのはいいきなもんです。
「〈対談〉 大正期労働運動と知識人――名古屋を中心に」. 『思想の科学』 通巻第56号(1963年11月20号) 42頁.