その文化史的意義如何

送年の辞 【1】

まさに逝かんとする昭和第六年をかえり見て、人々は何を思い、何を考えることであろうか。 政界の一年を回顧するものは、主として協力内閣問題と年末政変とを云々するであろう。 財界を顧望するものは、世界的経済恐慌と金輸再禁止を挙げるであろう。 外交問題を論議するものは、満州事変ならびにそれに関する国際連盟に説き及ぶことであろう。 政界も財界も国際政局も、本年はその前半は比較的平静であったが、後半年に入って俄然異常なる波瀾を巻き起すにいたった。 昭和第6年を顧みるものは、その後半年を顧望すれば足るのである。

過去の半歳は、まことに多事多端の半歳であった。 満州事変の突発から、満蒙問題ならびに国際連盟理事会に対する国民輿論の沸騰、協力内閣問題の擡頭から、若槻内閣の総辞職、犬養内閣の成立および金輸出再禁止の断行と、まことに多事多端の半歳であった。 しかしながら私たちはここにそうした事件の一々について、一つ一つ回顧してみようというのではない。 事件そのものの回顧は単なる記録に過ぎないであろう。 私たちは個々の事件を超越して、総括的に顧望することによって、そこにはじめて過去一ヶ年における、真の文化史的意義を把握し得るであろう。

昭和6年は私たちに対して如何なる文化的意義を残したか。 昭和6年の文化史的意義如何ということは、これを見る人々によって相当見解を異にするであろう。 あるものはイギリスの政変ならびにわが国の協力内閣問題等を云々して、政党政治思想の動きを中心に語ることであろう。 またあるものはイギリスならびにわが国における金本位制の停止を論じて、世界的経済恐慌および貨幣制度の根本問題に論究することであろう。 けれども私たちは、ここに「送年の辞」を草するにあたって、そうした問題を一々論評しようとは思わない。 それらの問題は、すでにしばしば論じたことであり、また単にわが国特有の現象でもないのである。

昨年、すなわち昭和5年のわが財界は、過去数年来、あるいは十数年来かつてない希望に満ちて迎えられた。 それは濱口内閣によって唱えられた「金解禁」、こう大きなかけ声があったからである。 まことに金解禁こそは、財界回復唯一の万能薬であるかのごとく、資本家も労働者も、都会も農村も、限りなき希望を金解禁の一事にかけて歓呼して迎えたのが昨年であった。 しかるに昭和5年は人々の希望に反して、不景気に明けて不景気に暮れて行った。 それは金解禁の結果から来る当然の打撃と世界的不況の影響とであって、また如何ともなし得ないものであった。 しかしてこの一ヶ年、わが国の論壇をにぎやわしたものは、実に不景気分析論であった。

昭和5年を不景気分析論の一歳とすれば、昭和6年はまさに金再禁論の一年であった。 財界不況の深酷化とともに、今年に入ってから金再禁問題が盛んに論ぜられるにいたり、その結果、年末政変と同時に現内閣の手によって金再禁が断行された。 しかしながら、金解禁から金再禁への歩みをたどった過去二ヶ年のわが財界は、けっして民政党内閣によって支配されたのでもなければ、また政友会内閣によって左右されたのでもなかった。 わが財界を支配したものは民政党内閣でもなければ政友会内閣でもなく、それは実に世界経済の大勢だったのである。 したがってこうした財界の動きそれ自体に関しては、何らわが国特殊の歴史的意義を持つものではない。 協力内閣問題のごときも、世界経済恐慌の余波以外の何ものでもなく、協力内閣問題それ自体、何ら政治思想的意義を持つものではない。

しからば昭和第6年を送るに際して、私たちが各自の心に感ずるところのわが国特殊の文化史的意義は奈辺にあるであろうか。 私たちはそれを把握しなければならぬ。 (つづく)

〔昭和6年12月28日 『名古屋新聞』 朝刊2面 言論欄〕

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