民族精神の再発見
送年の辞 【2】
昭和6年の文化史的意義は、わが民族精神の再発見という一事に尽きるであろう。 去る9月18日満州事変突発以来、国民の満蒙問題に対する関心と、国際連盟理事会に対する輿論と、滿洲派遣兵に対する熱烈なる後援と、派遣兵留守宅に対する温かき慰問とは、一体何を語るものであろうか。 それはわが民族精神が再発見され、再発揮されたことを、堂々と世界に向って宣言するものである。
欧州大戦はデモクラシーの勝利であるといわれている。 欧州大戦以来、デモクラシー思潮は全世界を完全に風靡して、一にもデモクラシー、二にもデモクラシー、三にもまたデモクラシーという有様であって、いやしくもデモクラシーに反する一切の旧思想は、一顧の価値なきものとして放棄せられた。 国家主義は国際主義と書き換えられ、祖国愛は人類愛に置き換えられたのである。
かくして、わが国においても安価なる国際主義者が輩出するにいたった。
単に学者、批評家、政治家らがこれを唱え、これを宣伝するばかりでなく、ついには国民の大多数がこれに共鳴して、デモクラシーを口にせざれば人にあらずという奇観を呈し、世界平和と国際主義とは人々の信仰の
もとよりデモクラシーそれ自体は大いに歓迎すべきである。 わが国に普選を実施せしめたのは、デモクラシー思潮のおかげである。 この意味において、デモクラシーに対しては感謝すべきであろう。 しかしながら問題はデモクラシーと手を携え、歩調を合わせてきたところの安価なる国際主義であり、安価なる世界平和主義であった。
国際主義の強調と、世界平和思想の浸染とによって、真の日本は次第にその姿を消して行くかに思われた。 単に物質文明が欧米化したばかりではなく、わが国古来の美しき精神文化までが、次第に欧米化してきたのである。 かくして批評家をして 「日本はアメリカの属国なりや」 の奇問を発せしめるにいたったのだ。
日本はアメリカの属国なりや? なんという皮肉なる設問であろうか。 しかしこれはけっして単なる皮肉ではない。 日本はその外形たる物質文明が欧米化したばかりでなく、精神文明もまた欧米のとりこと化せんとした。 日本はアメリカの属国なりや、という設問は、けっして皮肉でもなければ不謹慎でもない。 真に国を愛するところの批評家が思わず肺腑をついて出た言葉であろう。
極端なる欧米化、極端なる国際主義かぶれに、真の日本の姿はほとんど失われようとした。 われわれの日本は何処にありや、 われわれの日本文化は何処にありや、 われわれの大和民族の伝統的精神は何処にありや、 と反問せざるを得ない悲しむべき状態 [□□□□□□□□□□□] とうとうたる欧米文化以外の何物でもなくなったのである。
しかるに、去る9月18日、かの満州事変が突発するや、俄然として眠れる獅子のめざめたごとく起き上ったものがある。 滿洲事変突発以来、国民の満蒙問題に対する関心と、国際連盟理事会に対する挙国一致の輿論と、在満皇軍に対す熱烈なる後援とは、安価なる国際主義、安価なる平和主義をものの見ごとに清算して、わが民族精神はここに久しぶりに再発見され、再発揮されて遺憾なきまでに高揚されたのである。
私たちは日本を忘れてはいなかった。 私たちは民族精神を忘れてはいなかった。 日本はついに日本であり、 大和民族はついに大和民族であったのだ。 かくのごとくして、国民が民族精神を再発見することのできた昭和6年は、わが国民思想史上重大なる意義を有するものでなければならぬ。 それは日清、日露戦争以来の画期的事実であり、日清、日露戦争以上に特記さるべきものであろう。 (つづく)
〔昭和6年12月29日 『名古屋新聞』 朝刊2面 言論欄〕