三宅島に理想郷 (上)
それは皮肉でもある
罪の島に自由平等の世界を出す?
そうした雄々しくも感激に満ちた仕事を始めようとする赤尾氏父子
「人々の個性の如何にかかわらず、 その人格において一切自由平等の世界を出現させたい。 自分達は一切の邪悪が影を潜めてその片影だにも見せない理想的な楽園の住民でありたい」
こうした強い信念の下に一つの理想郷が今夢見られている。 昔から多くの人々によって夢見られたごとく、 そして事実の上にその理想の存在した事を聞かないごとく、 人々が本当に文字通り夢見たにすぎなかったごとく、 今度のこの新しい理想郷も果して単なる夢想に終るものか、 それともまた字義通り理想郷となって神の喜びの下に人々が最も人間的な生活を送り得るものか、 それは吾等の知り得べき範囲の外に置かれて有る……
吾等はただ、 如何なる人々によって如何なる理想が描かれつつあるか、 それを伝えさえすればそれで良いのだ。
理想郷の草分け……そうした雄々しくもまた感激に満ちた仕事を始めようとしているのは、
名古屋市東区富澤町の金物商赤尾織之助氏(46)とその長子
島は周囲八里、 人口約五千、 五個の村落を成し、 朝暾を果しなき太平洋上水天遥かなる所に見出し、 北には大島の噴火口より立ち登る一脈の煙を望み、 また玲瓏たる富士の霊峰を見る事もでき、 岩を噛んでは碎け散る大海の激浪を俯して眺めながら、 身は自然的に出来上った温泉の湯槽に浸っている事ができ、 村では取り立ての暖かい牛乳を一升十銭で売るのだ……と聞けば既にそれだけでも理想郷であるような気がする。
しかし天然的には理想郷であるこの島は、 かつては忌わしい罪の名によって知られた島である。 徳川幕府に遠島という処罰があった頃、 重罪人はみなこの島に追放されて来たものであって、 小金井小次郎、 英一蝶などはその中でも最も聞えた者である。 その当時の罪人は或る意味においては偉人であった場合が多いが、 そういう深い考え方をしないで云うならば、 この島は昔は罪の名によって汚辱された島である。 永久に呪われるべく運命づけられたはずのこの島に、 かえって神の名によって祝福されるべき理想郷が建設されようとして居るから大きな皮肉だ。
赤尾氏は海部郡八開村の出で、 当市の岡谷金物店の番頭さんをしていた事のある人だが、 十年前から漁業に手を染め、 紀州から北海道にかけて遠洋漁業に成功した。 三宅島では現に五十万円の会社を経営して鰹節、 椿油等の名産の取引を行っているが、 氏は漁船に乗って魚を追い廻している間に、 こうしてこの島にすっかりその勢力を植つけてしまったのである。 (廣生)
〔大正10年4月3日 『名古屋新聞』 5面〕