私の日記
五月十四日
今日の新聞は
午後四時頃、 私はプラートンの哲学書を読んでいると、 下女は一封の雑誌を持って来てくれた。 その表紙には 「極楽世界」 と書いてあった。
その口絵には数十の仏様の像が書いてあって、 それぞれ内務大臣とか文部大臣とか政治上の役目が配分せられてあって、 またその主意書には、 社会を改造するには、 この極楽世界の門戸をくぐるほか道がないように説明してあった。 殊に地獄極楽の対照表が記載せられてあって、 極楽世界の有難さが一目瞭然に示されてあった。 そしてその理想郷として伊豆の三宅島が選定されてあった。
ただちに私は、 有難いものが来たと思った。
しかし私は私自身で考えた——
プラートー以来、 フリヤー、 オーヱン等によって、 古来理想郷は数限りなく案出せられ、 実験せられた。 しかしてそれらの企ては一つの例外もなく全部失敗に終ったのではないか。 理想郷を作ることは、 現実の社会全体を改造するためには、 少しの効果も無い位のことは、 夢遊病か誇大妄想狂にかかっている人にあらざる限り、 誰でも尋常人の知りぬいていることではないか。
物質的生活に対して、
回避的
現実社会に生きるだけの資格のない人や、 力のない人は極楽世界でも造ることが最善の方法だろう。 けれども、 それが社会改造の根本原理だと吹聴することは、 ちと云い過ぎではなかろうか。
さらに私は
なるほど出来るものなら私も極楽へ行きたい。 しかし私はラセラス王伝や菊池寛氏著の地獄極楽のことを思い浮べた。 地球上の一部に極楽世界があっても、 他の大部分に今の現実社会が残って居ったならば、 極楽浄土へ移住した後、 私はまもなくその極楽に飽いて、 また再びもとの娑婆へ戻りたくなりはしないだろうかと、 いらない心配を起さずには居られなかった。
哲学者チューダージョンの主張するごとく、 理想へ進む唯一の道は、 人類の現実社会関係を通じてでなければならぬ、 という私の信念は殊にその度を高めた。
私はいつものように
労働者がこれまで
万年筆のキャップをしようとする時、
街道から酒酔いらしい一人の男が、
力強い男性的な声で
「
〔大正10年5月29日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕