仮面の憎むべきは、その仮面の醜い場合でなく、 美しい場合である。

近年来、 非社会運動の仮面をかむったものに 「文化運動」 というものがあった。 文化運動は要するにオムレツにパンで朝餐ちょうさんきっする泰平の逸民いつみん式運動の範疇はんちゅうでない。

したがってその衣が美しければ美しいだけ、 社会上の実際生活からは縁遠いものとなって、 もう大概雲散うんさん霧消むしょうしてしまったようだ。

しかるに、この頃またまた学界——殊に思想界——の一部に、曩年のうねんの文化運動と同コースに属する怯懦きょうだな非社会的運動が起りかかっていることが明かにちょうせられる。

彼らは何よりもまず自分らのおまんまのことを考えている。 自分らは社会上の奪掠者だつりゃくしゃでもなく、 被奪掠者でもない、 故にそのいずれに組する必要も理由もない——ただ二者の争議の外に立って居ればよいという。

徳川時代の腐儒ふじゅの考えが彼らの主張となってよみがえって来たことはなげかわしい。 日本もまたここしばらく反動時期に入るかもしれぬ。

〔大正10年6月14日 『新愛知』 1面 「如是」欄 無題コラム〕

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