杞憂君に送る

鵜飼桂六

過日わたくしが本欄に「貧乏理想論」と題する拙稿を公にしたるに対し、わざわざ貴君より御叮寧にも「日蓮主義を偏狭固陋なるものと論断せられる辺は、余りにも日蓮主義そのものに接触せられざる言分ではあるまいか、否さらに日蓮聖人の教義に触れられざるものと見做すべきの暴言ではあるまいか」という御忠告を賜わることを得たるは、私の深く感謝措くあたわざるところである。

しかれども杞憂君の謂うところことごとく私の論点を脱し、かつまた杞憂君はあえて「杞憂きゆうせい」と称して本名を明かにせられざるがゆえに、その人物の如何いかなるやを私は知らない。ことにその論拠のごときは極めて薄弱にして何らの思索の跡なく、何らの瞑想の跡なく、ただ漫然と言わんがために言い、書かんがために書きたるの風あるは、切に杞憂君のためにこれを遺憾とする。宗教は議論にあらずして体験である。君にしてもし日常の行事いささかも万人に恥ずるところ無からば、私はあえてその議論の当否如何いかんを問わない。されど君がその人ならざるは匿名の一事によってもこれを立証するに足る。すなわちここに本篇を草して、以て杞憂君のもうべんぜんと欲するものである。

恐らくは杞憂君も御承知であろうが、今日こんにち何故なにゆえに仏教が五十八派にも別れて各々一つの宗教閥を作り、或いは日蓮宗、或いは真言宗、或いは天台宗、或いは浄土宗、或いは真宗等のごとく、そのはんに堪えざるほどの部門を有するに至りたるかと言えば、それは偽日蓮、偽弘法、偽伝教、偽法然、偽親鸞、即ち一口に言えば、これらの職業的僧侶が余りに多く輩出したるがためである。真の日蓮は日蓮主義者にあらず、真の弘法は弘法主義者にあらず、真の伝教は伝教主義者にあらず、真の法然は法然主義者にあらず、真の親鸞は親鸞主義者にあらず。されば日蓮を知らんと欲せば日蓮を超越し、弘法を知らんと欲せば弘法を超越し、伝教を知らんと欲せば伝教を超越し、法然を知らんと欲せば法然を超越し、親鸞を知らんと欲せば親鸞を超越せざるべからず。いわんや日蓮主義にとらえられて日蓮を論じ、弘法主義に囚えられて弘法を論じ、伝教主義に囚えられて伝教を論じ、法然主義に囚えられて法然を論じ、親鸞主義に囚えられて親鸞を論ずるものをや。然るにいま杞憂君は日蓮聖人の真意をむことあたわずして、その枝葉末節の教義に囚えらる、れ、これをしも偏狭固陋の徒と論断せずして何と言わんや。かりにもし日蓮を地下よりび起し来たらば如何。必ずや彼は、現代の腐敗せる国家と妥協し、政府と妥協し、官憲と妥協しつつある日蓮主義を真先に改革し、粉砕し、撲滅せんとしたりしならん。しかも杞憂君は「経文に所謂いわゆる悪世の中の比丘」と称して自ら日蓮主義者の腐敗を歎じつつ、かえってむしろ大いに日蓮主義を称揚せられたるは、余りと言えば滑稽こっけいである。皮肉である。撞着どうちゃくである。矛盾である。あえて問う、主義あって主義者ありや、主義者あって主義ありやと。いかに杞憂君といえども後者を以て答うるであろう。しからば君も偽日蓮の一人である。いやしくも日蓮宗の総本山に淫風いんぷう魔雨まう沛然はいぜんとして降り居るを聞かば、いずくんぞく身を挺してこれを救済するの挙に出でざる。その、これを為すことなくして、徒らに身延山の醜態を対岸の火災視し、ただ机上において日蓮を説き、日蓮を論ず、なお日蓮主義者にあらずといえども、これを為すにあらずや。

私に一念三千を説き、身読しんどくを論じたる杞憂君よ。まず夫子自らを省みる時、そもそも果して内心忸怩じくじたらざるを得るか。議論のため、議論生活方便のための経文の切売りならばこれをめよ。宗教は絶対である。そしてそこにのみ宗教の価値はあり、意義はあり、生命はある。教義や条文、もとより無視すべからず。されど無限なるべき「仏陀の言葉」を誰か数万語をもって表現し得べき。要は断行にあり。日蓮をとなうる杞憂君よ、まず身をもって日蓮を論ぜよ。しからば君の議論は徹底するであろう。それまでは沈黙か無言を守れ。然らずんば君の苦言たる「盲人もうじん蛇にじず云々」もしくは「読者を誤るの罪決して軽からず」という語は意義をなさない。言にあやまちなきものは正しき人である。一言一句も活きている。各々おのおの生物をして有るがままに活かしむることは「仏陀の心」である。この言君の耳に入らば土をいて再び重来ちょうらいせよ。私はあくまでも決戦することを躊躇ちゅうちょするものではない。死は永遠に生きる第一歩だ。さらば杞憂君、血と涙とを以て戦えよ。敢てこれを君に送る。(1921・8・29)

〔大正10年9月5日 『名古屋新聞』 「反射鏡」欄〕

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