抽象的の愛

太刀生

苦悶の中でも卑屈な苦悶、僕の人格を下劣にするような苦悶、たとえば空腹の類のようなものは、慈善家も認容してくれるけれども、少し高尚な苦悶、たとえば理想のための苦悶なんテものは、極めて少数の場合を除くほか、決して認容してくれない。

何故かといえば、僕の顔がその慈善家の空想していたような、理想のための受難者の顔と、全然違っているからというのだ。これだけの理由で僕はその人の恩恵を取逃してしまう。しかし決してその人が冷酷なためではない。

だから、乞食、ことにたしなみのある乞食は断じて人前へ顔を出すようなことをしないで、新聞紙上で報捨ほうしゃを乞うべきだ。隣人を愛し得るのは抽象的な場合に限る。

どうかすると遠方から愛し得る場合もある。しかし、そばへよっては殆ど不可能だ。もし舞踊劇ぶようげき舞踏ぶとうのように、乞食がぼろぼろの絹の着物をきて、破れたレースをつけて出て来て、優雅なおどりをしながら報捨を乞うのだったら、まあまあ見物していられるさ。しかし、要するに見物するというまでで、決して愛する訳には行かない。

ドストイエフスキーは、こんな言葉を永々ながながと云い聞かしてくれる。さしむき好愛こうあいと憎悪との感情で報謝を決するという長野浪山ながのろうざん君の自白じはくは、ドストイエフスキーの道破どうはしたところをそのまま実行している人だと云い得られる。

吾々は抽象的には隣人を愛し得るが、事実としては憎悪と好愛との感情で決せられるものである。人間はやはり感情の動物である。

〔大正11年3月2日 『名古屋新聞』 「別天地」欄〕

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